現在の日本の政治状況と意次の頃とを比較するのは、相当、無理があるのは分かったうえで、似ていると感じたことを書いてみます。
意次の頃、老中は官歴を積んだ門閥譜代から選ばれました。もちろん将軍に忠誠を尽くすつもりなのですが、一方で、門閥譜代の利益と精神を代表する人たちでもありました。吉宗の頃、幕府の財政が弱まったために、年貢徴収を増やせばいいと考え、幕領の年貢率を高めました。その結果、多くの年貢米を市場で換金(銀)するため米価が下がり、米増収ほどには現金(銀)収入は増えませんでした。いや、下落する米価を支えるために幕府は却って金を支出しなければならないことさえありました。一方で農民は反感を強め、一揆が増え、社会不安が高まりました。しかし、門閥譜代の人々は、経済のからくりを知って、財政策を改革することはできませんでした。
その政治構造を一気にあらためたのが、宝暦八年の郡上一揆の裁きでした。老中本多正珍や若年寄本多忠央を改易するという荒療治で意次の威権を高め、ひいては家重の威光を格段に上げました。このあたりは、既に第一章四節「闇を開く」、五節「盤根を断つ」で書いたことです。将軍の意志で政治が動く組織を目指し、それが成功したというわけです。意次の主導する評定所の調査立案部門と、石谷清昌の主導する勘定所で、政治主導の経済政策が立案され実行されて行きます。
私は、この辺りが現在の日本の政治とよく似ていると思うのです。戦後からずっと財務官僚らが牛耳ってきた政策決定を政治家の手に取り戻す政治が安倍内閣で行われました。
これまで財務官僚の意見を政治に反映させる道は二つありました。一つは、財務官僚出身者が政治家となって形成した宏池会です。歴代会長のなかに高級官僚出身の池田、前尾、大平、宮沢の名があります。
二つ目は、大蔵省、建設省、郵政省など経済官庁のエリート官僚たちを手なずけて政・官・業のいわゆる「鉄のトライアングル」を築き、絶大な力を誇った旧田中派・旧竹下派です。
2014年、安倍さんと菅さんの協力で、内閣人事局が設置され、官邸主導の体制が大幅に強化されました。有力省庁、特に財務省の影響力を排し、官邸主導、政治家主導で政治を行う体制が整いました。門閥譜代中心の老中政治において、将軍の意向を背負った側衆が表の中枢政治機構に送りこまれ、老中、若年寄が罷免され、将軍本来の政治を取戻したことに相当します。
そして、安倍さんは生前から、モリカケサクラと、非難され、安保法制立法化の直後、支持率がどんと下がるほど、マスコミの攻撃にさらされました。安倍さんの亡くなったあと、国葬の話がでると、この話を始める人もいます。意次が死後、反対派からさんざんに悪口、悪罵を叩かれたのと似ています。なにも、意次と安倍さんを似ているというのではありません。改革者は正しく強いほど、守旧派、既得権益派からは憎まれ、攻撃される点が似ていると思うのです。
安倍さんは、世界各国から賞賛が寄せられ歴史的に立派な政治家の名を残せそうで、私は嬉しく思います。意次は、死後も、反対派の悪口悪罵が生き残り、つい最近まで汚い政治家と言われ続けました。この点が異なっているので安倍さんのためによかったと思います。
財政政策、組織・人事政策とも順調に推移しているからこそ、表面上動きの目立たない改革反対派が気になります。
天明の飢饉はもう少し先の話のようですが、天候不順、農作物不作が続くのでしょうか?
何れにしろ、予想される景気後退、食糧不足などの庶民の不満と反体制派の不満とが政治中枢に向かいそうで心配になります。
財政立て直し途上でもあり、展開されるであろう経済政策にも期待しています。
小説、ブログでの解説とも勉強になるとともに、自分の知識不足を感じます。
“国葬”騒ぎも含めてマスコミの報道姿勢には多少疑問を感じるところです。
マスコミ業界も利益追求が必須だとは思いますが、その存在価値の基盤になる公共性、公平性をおろそかにしてはならないと思っています。