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執筆者の写真佐是 恒淳

『種痘の扉』第四章四節

 四節「平川町貝坂」では、シーボルト事件の起こる前に鳴瀧塾からひっそり身を隠した高野長英が、ほとぼりが冷めた頃を見計らって貝坂で大観堂を開業するところから始まります。

 半蔵門から西にいく道は四谷御門を経て新宿から甲州に向かう道、甲州街道です。半蔵御門をでるとすぐに麹町が始まり、麹町四丁目の交差点を左折すると貝坂です。今もそのままの道筋です。半蔵門前の御濠沿いに桜田門に向かって坂を下りていくと、見事な御濠が広がります。このあたりの城内側は石垣でなく土塁で高々と守られ緑がきれいなところです。

 三宅家上屋敷は渡辺崋山が住んでいたところ、道を挟んだ向かいは井伊家上屋敷でした。高野長英は渡辺崋山と親交を結び、蘭学の研究にいそしんでいました。貝坂に沿った平川町は素晴らしい町で、高野の最高の時間を送ったところでした。


 そろそろ、江戸における蘭医学と漢方医学の根深い対立が始まりつつあります。既得権益者と新興学閥の争いとみることもできます。旧態の学問に対し、実証的な新学問の対立と見ることもできます。シーボルト事件、蕃社の獄と、蘭学一派は手ひどい攻撃をうけるのです。


 北杜市の家内の実家に二泊で帰ってきました。普段は戸閉めですから、時々、見に行き、庭の草をむしっておかなくてはなりません。公開が遅くなって失礼しました。


                             恒淳  






  

 

閲覧数:12回2件のコメント

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2 Comments


北薗 洋藏
北薗 洋藏
Jun 19, 2023

佐是様、毎回楽しんでおります。


シーボルト事件、蛮社の獄と蘭学には辛い時期となったようです。

蘭医学と漢方医学の勢力争いが弾圧の要因であったとすれば、やりきれない気持ちになります。両派で協力できなかったものでしょうか、いつの世も権力争いは醜いもののようです。

その中で、自分の限界を自覚し、見ようによっては卑屈なほど周囲を窺いながらも自分の目標に進んでいく玄朴の生き方は、賛否両論あるようですが見習うべき部分も多々あると思いました。


史跡の多い江戸の街を歩いてみたくなりました。

残念ながら、今のところはストリートビューで見るしかありませんが。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
Jun 19, 2023
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北薗さま、

毎週コメントを賜り、これほど心強い激励はないと感謝で一杯です。


高野の異能振りは貝坂で大いに発揮されます。玄朴はその活躍を横目で眺め、時には専門的な助言をもらって付き合いますが、高野には敵わないという気持ちを持っていたようです。玄朴の内心には高野に対する嫉妬の心が渦巻いていたのでしょう。


玄朴は、漢方医に警戒する気持ちを持ち始めました。多紀家の私塾に過ぎなかった躋壽館が、官学として幕府の塾に格上げされて医学館になり、江戸に強い勢力を張っている様に気が付きました。将軍を診察し治療する立場の漢方医が、医学的にはもちろんのこと、政治的にも強い発言権を持つことに恐れをいだき、蘭学を迫害するのではないかと警戒したのでした。


私も江戸歴史散歩にいっとき夢中になりました。切絵図を持ち、現代地図を携え、散策するのは楽しいものです。いまは、スマホにダウンロードできるアプリがあって、現代地図と江戸時代地図を比較することも簡単になりました。

                            恒淳

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