十節「江戸城本丸大奥御小座敷」では、将軍家定の死去する最後の二日間が描かれます。伊東玄朴は、井伊直弼に、将軍の二日間の延命を請け負いました。玄朴らが懸命の延命治療を行う中、井伊が限られた時間を最大限、活用し、一橋派を追い落とす政治工作を行いました。将軍による処罰の命が下って数日後に将軍は亡くなりました(と公式に記録されました。数日間のぶれがあっても不思議はないのです)。井伊のきわどい”時間差攻撃”に貢献したとして、伊東玄朴は昇進し種痘所は幕府公認、官立となって、江戸の種痘発展につながりました。牛痘種痘は、単なる医療行政の枠を越え、江戸では最後の最後まで、政治的な焦点と関わりをもちました。その劇的な効力が政治利用されるのは当たり前、むしろ牛痘種痘の効果のすばらしさを証拠立てることかもしれません。
伊東玄朴は、晩年、松本良順に弾劾され小普請入りとなり公式な職を失います。赫赫たる名誉、名声は続きませんでした。明治4年(1871年)死去 享年71歳。松本は玄朴の銅臭を殊に嫌ったようで、いくつも逸話が残されています。
終章とあとがきを残すだけとなりました。
恒淳
タイタンビカスは芙蓉の園芸種で、大きな花を
咲かせます。木槿に似た花で、いかにも夏らしい
花です。
佐是様、今回も意外な展開に感服しながら読んでおりました。
井伊直弼、伊東玄朴、両者Win-Winの関係とはいえ、伊東玄朴の大老さえ利用し蘭学、蘭方医学、種痘の普及を目指したことは外圧、幕府政治状況、世論など把握したうえでなくてはできない事だったのではないでしょうか。その上での銅臭であり、何等強欲さは感じません。
松平春嶽の出自が田安だったことは初めて知りました。結果かもしれませんが井伊直弼の蘭方医学普及への貢献も意外でした。毎回、勉強させていただいております。
終章、あとがきまでしっかり読みたいと思います。