五節「浅草向柳原」では、玄朴がいかに策をこらし蘭方医学を再び隆盛に導くか、苦闘する場面が描かれます。蘭方医学は、いっとき人気になったあと、シーボルト事件(文政11年、1828)と蕃社の獄(天保10年、1839)で弾圧され、長い事、苦しい立場に置かれます。玄朴の画策が無ければ、隆盛を取戻すことは随分遅れたと思われます。
玄朴の起死回生の策は牛痘種痘にありました。これを利用すれば、漢方医学を打ち破れるとの読みは、半分当たりました。残り半分は何だったか、それはこの後の玄朴の活躍に描かれます。
結局、蘭方医学の系譜は明治に引き継がれ、堂々たる西洋医学となって今日に到ります。漢方医学と地位が逆転しました。
ネムノキに花が咲きました。夜、小葉が合わさって
眠るように見えるので、この名がついたとか。
合歓の木とも言います。
ほわーっと咲く薄桃色の花を亡父が好きだった
ことを思い出しました。
佐是様、毎回ありがとうございます。
シーボルト事件、蛮社の獄以降の翻訳出版規制の部分では太平洋戦争の時期の言論統制を思い浮かべました。SNS全盛である現在も様々な問題はあるにせよ、言論の自由は保障されるべきだと思っています。
伊東玄朴の牛痘種痘普及への意欲は勿論、今後発揮されるであろう政治力が楽しみです。
また、鍋島斉正、伊達宗城など進取の精神に富んだ大名と繋がりを持てたことも政治力を備えた玄朴の実力だったのではないでしょうか。
「残り半分」が気になります、次回以降に期待です。