第二章十節「筑前大宰府」では、小説の筋立てとは関わりない天然痘/痘瘡の歴史を書きました。こうした記述は、小説のまとまりを損ない、好ましくないと指摘を受けたこともあります。この小説は、天然痘の凄惨な歴史と世界的な広がりを知らずして、理解できないのではないかと思っています。
小説の登場人物に語らせるという小説手法も考えたのですが、この当時、天然痘の歴史と広がりを語れる人物は世界で誰もいません。小説中に登場して語ってもらう訳にはいかないため、小説技法の問題に悩まされました。結局、読者に天然痘を知ってほしくて、小説の体裁を犠牲にしてでも書くことに決めた一節です。
天然痘は、恐ろしいパンデミックの段階を超えると、今度は風土化の段階に入ります。コロナでもそうです。今は、ウィズコロナと言っていますが、風土化のことだと思います。1918年、スペイン熱の名称ではやったインフルエンザもすでに風土化して100年、日本は、100年もの間、マスク、手洗いの習慣が保たれた稀有の国で、今回のコロナでもその長い習慣は有益でした。そろそろマスクをとってもよい時期になり、コロナは風土化してくれるのか、それとも第9波が再来するのか、心配もあります。
日本の雛祭り、五月の節句、七五三など、子供の健康を願う風習は、うちの子は天然痘で死なないでほしいと願う親の心が込められているのではないかと思うのです。
北薗さま、
貴重な写真をたまわり、ありがとうございます。
ホソン神様の解説を読み、何気なく書かれた背景に、疱瘡で子を失った親の悲しみがひたひたと湧きあげてくるようで、胸が熱くなりました。疱瘡で子を失うということは、死に至るプロセスが残酷で、これを耐えるのが容易ではないと思います。いたいけな我が子が、なぜこのような目に会わなければならないのか、代われるものなら代わってやりたいと思ったことでしょう。そんな辛い思いの末に、子が死んでいくのは、耐えがたいものがあります。そうした茫漠たる過去の悲しみのひろがりが、ホソンだごを作り、神様にお供えして皆で楽しく食べたという風習のもとになったのだと想像しました。その説明書きに、涙がでそうになりました。
今は、天然痘は撲滅されました。どれほどの幸福か、身に染みて感じます。
恒淳
佐是様、毎回勉強になります。
天然痘などの伝染病と人間の歴史、興味深く読ませていただきました。
先月のNHK「100分de名著」はハンセン病作家北條民雄を採りあげていました。ハンセン病に限らず、伝染病が差別につながりかねないことを肝に命じた次第です。
少し具合が悪ければ病院、投薬が当たり前の時代ですが、本小説に採り上げてあるような医学、薬学をはじめとする先人たちに感謝の念を忘れてはならないと思います。
次回以降も日本の牛痘種痘の歴史を楽しみに読んでいきます。
写真は知覧町に残っている「ホソン神様(疱瘡の神様)」です。