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執筆者の写真佐是 恒淳

『種痘の扉』第二章六節



 この頃、欧州ではナポレオン戦争が繰り広げられ、オランダも亡国の憂き目を見ます。長崎に商船を派遣することができなくなり、長崎出島に駐在するオランダ人は祖国と連絡を絶たれる大変な境遇に置かれます。この長い、不安な、先の見えない辛い時期に、商館長ドゥーフが編んだ辞書が後年、日本蘭学界に大きく貢献します。ズーフ・ハルマと言われる蘭和辞書です。勝海舟が二式を筆写し、一部は自らの勉強用、一部は売ってお金を稼いだというエピソードは有名です。かように蘭学を志す書生が必ずお世話になった辞書が、こうした経緯で編まれたことを知って、私はしばし感慨にとらわれたことを思い出します。


 最後は、佐十郎が結婚し、その岳父の所有した別荘を作左衛門が訪問するところを書きました。向島の牛島にあったそうで、切絵図などを見ながら当時のこのあたり一帯の情景を想像するのは楽しいことでした。江戸の郊外、このあたりはよほど美しい地域だったようです。私は三囲神社などを訪れたことがありますが、このあたりにそれは美しい田園風景が広がっていたと想像しながら散策したものです。いよいよ、佐十郎の大きな活躍が始まります。

                        恒淳  







  


















牛島の別邸もこんな感じだったかと?   

閲覧数:14回2件のコメント

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2 Kommentare


北薗 洋藏
北薗 洋藏
04. Feb. 2023

佐是様、毎週楽しみにしています。


祖国がどうなるか分からない状態の中、蘭和辞書制作に取り組むドゥーフの精神力は感動ものです。他の商館員も大変な時期を過ごしたことでしょう。

勝海舟が貧乏生活の中、本の書写で生活費を稼いでいたことは何かで読みましたが、それがドゥーフの蘭和辞書だったとは、断片的な記憶が結びつくとうれしくなります。


いよいよ、佐十郎の活躍や牛痘種痘に進展が見られそうで次回以降も期待しています。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
04. Feb. 2023
Antwort an

北薗様、

コメントありがとうございます。


 ヅーフ・ハルマに関して天保期によく知られる逸話は、大坂の緒方洪庵の適塾のことがあります(『緒方洪庵伝』p85、p90)。 塾二階の六畳間に『ヅーフ・ハルマ』一式が備えられ、塾生がこの部屋に引きに行くというのです。会読前には、控えの七畳間にまで塾生の長い行列ができたほどでした。上級生用にウェーランドの蘭蘭辞書があるだけだから、多くの塾生はヅーフ・ハルマを利用したのでした。こういう雰囲気によって、集中して勉強する塾風が生まれ、福澤諭吉らを始めとする達者な蘭語読みを輩出したというのです。

 弘化四年(一八四七)、勝海舟は人から一年間十両の高額で『ヅーフ・ハルマ』を借り受け、翌嘉永元年(一八四八)八月二日、二部の手写を完了したと手写本巻末に本人の手記を残しました(『勝海舟』松浦玲 中公新書p25)。一部を売って借り賃を支払い、一部を自己勉強用としたというのですが、勝が五十八巻本二式を手写した労を考えると、いかに日本人の蘭学学習に必要なものと考えられていたかが忍ばれ、勝の向学心、日本人の熱い思いが窺えます。勝は、夏夜蚊帳なく、冬夜衾なく、ただ日夜机によって眠り、椽(たるき)を破り、柱を削って煮炊きの燃し料にするという極貧生活で、これをやってのけました。ドゥーフが編纂を開始して三十六年もあとの逸話です。


                         恒淳


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