第二章九節「向島牛之御前」では、ゴロウニンにロシア語を習ってきた佐十郎が、江戸に帰りロシア語の辞書、文法書、解説書を懸命にまとめ、執筆する姿を描きました。
佐十郎がどのような様子でロシア語に取り組んだか、文献を探せませんでした。佐十郎の岳父が津軽藩の藩医であること、蝦夷に出兵した津軽藩士から極寒の故に多くの死者をだしたことなどを考えた私の想像です。英国、露国から圧迫を受けた当時の日本が、国を守るとはどういうことか、真剣に考えた時代でもありました。佐十郎とて、国を守る一翼を担うつもりで必死にロシア語の教材を準備していたに違いありません。
昨今、現代日本でも国防について真剣な議論がなされ、政治も国防重視の方向を目指しています。二百年前も、文化の露寇、フェートン号事件などが起こり、国防意識が高まった時代でした。こうした時、日本には必ず国を救う人物がでて、皆の協力をえながら国を守り切りました。そんなかつての危機と現在とを重ね合わせてみると、日本人とは何かと思わずにはいられません。
雲おおう
佐是様、毎週ありがとうございます。
今回は、佐十郎の仕事ぶりに圧倒された思いです。
外圧がひしひしと迫ってくるこの時代、通詞としての立場で国防・外交のため必死で働いたのでしょう。著作量の多さには驚きました。
ゴロウニンのような外国人ばかりであれば外交も苦労はないのでしょうけれど、ワルデナールやフヴォストフのような動きをする者もおり、交渉担当者の苦労は計り知れません。
今のロシアの膨張政策は、この江戸時代の頃の考え方から進歩がないのではないかと思ったりします。
ウクライナ侵略1年を過ぎ、日本政府あるいは西側の正しい選択と早期停戦を期待し、見続けていきたいと思っています。