文政年間、英、米、仏、露などの船がしばしば、日本と接触します。日本はオランダのみに寄港、通商を許可していますから、オランダ旗を掲げない西洋帆船は全て違法とみなしました。
これらの船がなぜ日本海域に出没するのか、それは捕鯨が目的でした。捕鯨によって良質の油を取り、照明に、潤滑油に用いたのでした。特にマッコウ鯨の脳油は最高級の潤滑油でした。当時、産業革命が進行し、機械工業が実用化され、蒸気機関車が走る世の中にあって、寒冷環境でも固化しないマッコウ鯨の脳油は最高の潤滑油で、機械には必要不可欠でした。有名なビスケー湾や大西洋の鯨を取り尽くし、いよいよ北太平洋に進出してきました。メルビル著『白鯨』はアメリカ捕鯨船の活躍が下地になっています。
遠く本国を離れた捕鯨船は1~2年間は国に帰らず、鯨を獲り続けます。油は大釜で肉を煮上げて取出し、樽詰めして保存します。肉は、冷凍技術のない船のこと、殆んどを捨ててしまいます。現在、欧米人が鯨の保護を訴えるようになるとは想像もできないほどに荒っぽい鯨漁でした。日本の捕鯨は、当時から現代にいたるまで捨てるところがないほどに徹底的に獲物を利用する鯨漁であり続けたことと対比的です。
こうした欧米の捕鯨船は、太平洋、特に日本の沖合を航行します。食糧の買い付け、休養、傷んだ船体の補修、難破時の人命救助などに、日本の助けを欲し、日本の港への寄港を求めていました。それが度重なる日本との接触になります。こうして佐十郎の出番へとつながっていきます。産業革命、蒸気機関、紡績機械が潤滑油を必要とし、回り回って、佐十郎の『訳司必用諳厄利亜語集成』になっていくと思えば、世界史的な大きなうねりを感じる風景なのです。
今回で、小説をホームページに公開して一年です。『将軍家重の深謀-意次伝』を満了し、『種痘の扉』を掲載中です。一年間、御愛顧いただきありがとうございます。特に北薗様には、毎回欠かさずコメントをいただき、やり取りさせていただくことが一週間のリズムを刻むようです。感謝の言葉もありません。本当にありがとうございます。
恒 淳
佐是様、毎週ありがとうございます。
佐十郎の突然の死、やはりそれまでの労苦、特に「遁花秘訣」翻訳の二年間の激務が健康を蝕んだのではないでしょうか。享年三十六歳、惜しまれます。
ジャワ人の子供による継代に代わる方法とは...自分でも考えてみたいと思います。
鯨油と産業革命の関係は少々驚きました。潤滑油には考えが及ばず、単なる燈油くらいにしか思っておりませんでした。
本文とは関係ありませんが、先般 捕鯨船員の経験もあるジョン万次郎の本を読んでいたのですが、薩摩藩で取り調べを受けた場所(西田町下会所)が、私の高校までの通学路にあったことを知り仰天しました。
HP公開1年おめでとうございます。
田沼意次~馬場佐十郎・種痘と勉強させていただき有り難うございます。
これからも楽しみに読み続けたいと思っております。