シーボルトの江戸参府が描かれます。シーボルトにとって長崎から江戸への単なる移動ではありませんでした。途中の行程そのものが日本調査の一環でした。弟子を集め別動隊を組織し、オランダ使節本体の前後で、各地の調査を行いながら進みました。シーボルト本人は、要所の緯度経度を測定し、各地の知識人と会い、標本を作り、橋梁を調査し、日本のことを貪欲に調査して江戸に向かいました。
江戸でも、高橋作左衛門はじめとし、多くの蘭学者や”蘭癖”大名と会い、西洋文明の宣伝に努めました。シーボルトの話を聞こうと、一行の宿舎となった本石町三丁目の長崎屋には多くの日本人が蝟集し活況を呈しました。すごい研究心と情熱です。それが相当大胆な行動となって、二年後のシーボルト事件につながります。
薔薇が咲き始めました
佐是様、毎週楽しみに読んでおります。
いよいよ、シーボルトの江戸参府。
隠密などを使った情報収集力に徳川幕府は長じたものを持っていたというのが私の認識ですが、その点をシーボルトは無視したのか、知らなかったのか、軽率な行動が多かったように見えてしまいます。
高野長英が疑惑の目を向けたように、幕府も江戸参府でのシーボルトの行動から警戒感を強めざるを得なかったのかもしれません。
出島での在任期間の限られた中シーボルトの焦る気持ちもわかりますが、幕府の鎖国政策も踏まえたうえで、もう少し慎重な行動をとるべきだったと思います。