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執筆者の写真佐是 恒淳

『種痘の扉』第三章十節

 シーボルトの江戸参府が描かれます。シーボルトにとって長崎から江戸への単なる移動ではありませんでした。途中の行程そのものが日本調査の一環でした。弟子を集め別動隊を組織し、オランダ使節本体の前後で、各地の調査を行いながら進みました。シーボルト本人は、要所の緯度経度を測定し、各地の知識人と会い、標本を作り、橋梁を調査し、日本のことを貪欲に調査して江戸に向かいました。

 江戸でも、高橋作左衛門はじめとし、多くの蘭学者や”蘭癖”大名と会い、西洋文明の宣伝に努めました。シーボルトの話を聞こうと、一行の宿舎となった本石町三丁目の長崎屋には多くの日本人が蝟集し活況を呈しました。すごい研究心と情熱です。それが相当大胆な行動となって、二年後のシーボルト事件につながります。




 


  


















薔薇が咲き始めました

閲覧数:14回2件のコメント

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2 Comments


北薗 洋藏
北薗 洋藏
May 13, 2023

佐是様、毎週楽しみに読んでおります。


いよいよ、シーボルトの江戸参府。

隠密などを使った情報収集力に徳川幕府は長じたものを持っていたというのが私の認識ですが、その点をシーボルトは無視したのか、知らなかったのか、軽率な行動が多かったように見えてしまいます。

高野長英が疑惑の目を向けたように、幕府も江戸参府でのシーボルトの行動から警戒感を強めざるを得なかったのかもしれません。

出島での在任期間の限られた中シーボルトの焦る気持ちもわかりますが、幕府の鎖国政策も踏まえたうえで、もう少し慎重な行動をとるべきだったと思います。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
May 13, 2023
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北薗様、コメントありがとうございます。

 ご指摘のようにシーボルトはすこし調子にのってやり過ぎたのかもしれません。どこに行っても日本人に敬意を表され、親切にされてきたわけですから。

 シーボルト事件における幕府の本当の狙いが何だったのか、よくわかっていないのだそうです。幕府が、地図や重要文書の海外流出を防ぎたかったのかと云えば、そこまで厳格にシーボルトの蒐集品を没収していないので、そうではなさそうだと云う考えもあるのだそうです。現に、オランダには重要な日本文書のコレクションがあります。

 あまり日本国内に蘭学が盛んになりすぎるのを抑える狙いだったという説もあるようです。さらに、島津重豪のような”蘭癖”大名のが妙なことを考えるのを抑えるためだったという説もあるのだとか。妙なこととは、密貿易です。長崎以外の地で薩摩-オランダの貿易を幕府抜きでされるのは幕府にとって困ることでした。

 ともかく、シーボルトは追放に近い形で長崎を去り、関与した高橋作左衛門はじめ、長崎の蘭通詞は捕縛され大変な目に遭いました。蘭学は世間を憚る立場に突き落とされます。このあと、小説にそのような話が展開いたします。

                              恒淳


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