八節「肥前神崎郡仁比山」では、佐十郎の亡き後、図らずも、種痘の日本導入を担う一人になる伊東玄朴の出生が語られます。後世、異彩を放つこの人物は、蘭学がらみで波乱万丈の生涯を送ります。晩年には、東京大学医学部の前身にあたる組織を作り、初代学部長になった大槻俊斎(頭取)は、その無二の友です。
蘭学の歴史は、シーボルト事件、蕃社の獄、高野長英事件、漢方医との勢力争い、蘭学書の翻訳制限、蘭方医による将軍家茂の看取りなど大事件が続き、幕末に至ります。その間、嘉永二年(1849)種痘苗の導入成功がありました。ペリー来航の四年前です。ジェンナーが種痘に成功した1796年から数えて53年目、享和三年(1803)佐十郎が初めてドゥーフから種痘の話を聞いて46年目の事です。小説も後半にいたり、蘭学の幕末の歴史が語られます。
佐是様、毎週ありがとうございます。
古川左庵の聞く技術というかストレス緩和手法は、医学に限ったことではなく重要なことではないでしょうか。医学に限らず、活用できる場面は多々あると思います。
“伊東玄朴”は名前を知っている程度なので今後の動きに期待しています。勘造の成長は、結構楽しんで読めました。
シーボルト事件、蛮社の獄などの蘭学絡みの大事件、種痘成功への道のり、幕末維新へ向かっての世情変化など興味を持って読み進めていきたいと思っています。