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執筆者の写真佐是 恒淳

『種痘の扉』第三章八節

 八節「肥前神崎郡仁比山」では、佐十郎の亡き後、図らずも、種痘の日本導入を担う一人になる伊東玄朴の出生が語られます。後世、異彩を放つこの人物は、蘭学がらみで波乱万丈の生涯を送ります。晩年には、東京大学医学部の前身にあたる組織を作り、初代学部長になった大槻俊斎(頭取)は、その無二の友です。

 蘭学の歴史は、シーボルト事件、蕃社の獄、高野長英事件、漢方医との勢力争い、蘭学書の翻訳制限、蘭方医による将軍家茂の看取りなど大事件が続き、幕末に至ります。その間、嘉永二年(1849)種痘苗の導入成功がありました。ペリー来航の四年前です。ジェンナーが種痘に成功した1796年から数えて53年目、享和三年(1803)佐十郎が初めてドゥーフから種痘の話を聞いて46年目の事です。小説も後半にいたり、蘭学の幕末の歴史が語られます。









 

 

閲覧数:11回2件のコメント

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2 Comments


北薗 洋藏
北薗 洋藏
Apr 30, 2023

佐是様、毎週ありがとうございます。


古川左庵の聞く技術というかストレス緩和手法は、医学に限ったことではなく重要なことではないでしょうか。医学に限らず、活用できる場面は多々あると思います。


“伊東玄朴”は名前を知っている程度なので今後の動きに期待しています。勘造の成長は、結構楽しんで読めました。


シーボルト事件、蛮社の獄などの蘭学絡みの大事件、種痘成功への道のり、幕末維新へ向かっての世情変化など興味を持って読み進めていきたいと思っています。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
Apr 30, 2023
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コメントありがとうございます。本当に励みになります。

伊東玄朴は佐十郎のあとを継ぐ準主人公なので、視点の書き方が難しかったことを思い出しました。佐十郎と異なり、あまり感情移入しない客観視点で書きましたが、これは最近の小説執筆の流れから言うと、してはならないやり方なそうです。小説執筆の作法も変わり、私が若い頃は普通だった客観視点の設定が、最近は否定され、感情移入しやすい一人称視点か、せいぜい主人公視点までが許されることなのだそうです。売れない作家ですから気にせず好きなように書いていますが、これは時代遅れの文体と評価されるようです。勘造の成長を面白く読んでいただいたとのコメントを嬉しく感じた背景には、視点設定の悩みがあったからでした。


佐十郎を描いた視点設定が勘造の場合では異なり、雰囲気が変わる感じで物語が語られます。これ以降、たくさんの挿話に基づく物語展開で、面白くお読みいただきたく願っています。佐賀の方言はネットで調べて書いたもので、九州の方言を御存知の方からすれば、おかしい表現もあるかと、少しひやひやしています。

                                 恒淳 

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