第三章二節「相州浦賀」では、いよいよ佐十郎と牛痘種痘の三回目の出会いが描かれます。一回目はドゥーフから牛痘種痘の話を聞いたことで、佐十郎の種痘を志向する発端となりました。二回目はゴロウニンからロシア語を習う期間に、日本に持ち込まれたオスペンナヤ・クニーガを見て、読解をロシア人から習ったことでした。その翻訳は半ば諦めていたのです。そして、三回目が浦賀に来航したイギリス人から、種痘解説書と牛痘苗を贈ろうと言われながら断らざるをえなかったこと。
三度の運命的な邂逅によって、佐十郎は頭のどこかにスイッチが入りました。ここから、超人的な努力でオスペンナヤ・クニーガを翻訳する佐十郎の人生の一つの焦点が生まれます。
私がこの小説を書く動機も、この運命的な三度の邂逅にあります。そうまでした佐十郎の努力も、牛痘苗が入手できず、空しいことになっていきます。
佐是様、毎回勉強させていただいております。
中川五郎治や久蔵のロシアルート、ドゥーフやブロンホフのオランダルートだけでなく英国船ブラザーズ号にも種痘法や牛痘苗入手の機会があったとは.....国法に背くことができず返却せざるを得なかった佐十郎の心中察するに余りあります。
それにしても、満足な辞書、資料のなかった時代に、三か国、四か国もの言語を使っての翻訳は気の遠くなるような困難な作業だったのでしょう。天才的な語学才能のうえの努力と人々を天然痘から救いたいという強烈な動機があってはじめて取り組めるものだったと思います。外国語はおろか、ちょっとした候文や古文も読み下せない自分が恥ずかしくなります。
次回以降の「オスペンナヤ・クニーガ」翻訳作業が楽しみです。