九節「長崎村中川郷鳴瀧」は、シーボルトの活動拠点が鳴瀧に設立される場面から始まります。ここは、シーボルトが日本人蘭方医、蘭学者に教育を行う教育研究機関であると同時に、日本調査の秘命を遂行する策源地でもありました。
シーボルトの教育はたしかに日本の蘭学を画期的に高め、西洋知識を広く受容する基盤が構築されました。同時に、それは、オランダによる日本研究が大進歩を遂げ、オランダの世界戦略に日本を組み込む基礎ができたということでもありました。近い将来、日本の知識体系はオランダ抜きに成立しなくなり、一方的にオランダ経由のオランダに都合よい情報だけが入ってくる状況に近づくことも意味しました。
蘭学の発展は、一国だけに依存する学問体系が恐ろしい一面を持つことに気付くきっかけになりました。文政末期から天保にかけて、いろいろ、蘭学者の受難が起こります。保守退嬰の頭の固い幕閣、幕僚による蘭学弾圧の一面もありますが、文化的、思想的な独立を脅かされる危機感もその背景にあります。鎖国下、西洋の学問はオランダ経由でしか入ってこない状況で、必然的に起きた現象だと思います。
日本の漢学、儒学は中国から取り入れたものでしたが、一方的に中国の考えを踏襲しただけの体系からはすでに脱皮し、荻生徂徠の唱えたように、「現実がどうあろうと、真は、こうあるべき姿の中に存在する」という硬直化した中国式の観念論から飛び出していました。現実のなかにこそ真がある、との自由な科学精神が芽生え、西洋技術を取り入れることができたのでした。その土壌に蘭学が花咲かせたのでした。いい例が解剖学です。漢方の解剖学は観念的なものは別として、腑分けして観察した現実の内臓配置図はありません。観念論とはそうしたもののようです。シーボルトは、いろいろの意味で、大きなインパクトを日本の思想、文化に与えます。
恒淳
国営アルプスあづみの公園 (堀金・穂高地区) 田園文化ゾーン
連休中に孫たちと行ってきました。
北薗様、
アジサイのことを何か所かに書きましたが、これはシーボルトがアジサイの学名に恋人おたきさんの名を入れたという挿話に基づいています。ただ恋人の話までは書けなかったので、こんな放りだしたような記述になってしまいました。
「あじさい情報センター」のネットの記述では、こうあります。
シーボルトは数ある植物の中でも日本の植物であるアジサイを愛したようで、彼の著書『日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)』には、彼が日本で知り合った「オタキさん」という女性の名前からつけられたといわれる「Hydrangea otaksa(ハイドランジア オタクサ)」という学名でアジサイが紹介されています。ただ、アジサイの学名はシーボルトが命名する以前に「Hydrangea macrophylla (ハイドランジア マクロフィラ)」という名前で発表されていたのでオタクサの名前は認められませんでした。
シーボルトの長崎における悲恋とアジサイにまつわる美しい挿話です。シーボルトはすでに学名が決まっていることを知っていたにも関わらず、otakusa と名付けたなら、採用されないことを知って、なお、恋人の名を付けたかったのでしょう。イメージが重なる女性だったのだと想像します。
恒淳
佐是様、毎週ありがとうございます。
論文提出での教育はオランダの隠された意図さえなければ最高の二国間交流の場だったのではないでしょうか。当時の鳴瀧塾の活発な活動が目に浮かぶようです。
ブログに書かれているように、一国だけを窓口とした文化交流の危険性も理解できました。外交の怖さを感じます。
高野長英の登場で、五年ほど前小伝馬町の牢屋敷跡を訪ね先入観のせいか暗い気持ちになったことを思い出しました。
因みに、「おから=キラス、キラシ」は鹿児島弁として残っています。若年層には通じないと思いますが、六十歳台以上は九割方通じると思います。