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執筆者の写真佐是 恒淳

『種痘の扉』第一章六節

お知らせ その一

  1. 第一章六節から、節ごとにページを改めるこれまでの掲載書式を変更しました。

  2. 第一章五節から八節までは、同一ページに追記します。

  3. 二章以降は章ごとに同一ページとし、八節を一ページに掲載します。

  4. Wix(HP会社)から、あまりページ数を増やさない方がいいと言われたためです


お知らせ その二

  1. HPのアドレスを最近変えました。新アドレスは   Home | 歴史小説のお誘い 佐是恒淳 (tsunetory.com) すなわち https://www.tsunetory.com   です

  2. それに伴い、yahooやGoogleにおいて「歴史小説のお誘い」や「佐是恒淳」のキーワードで検索すると、ヒットするようになりました。

  3. note にも『将軍家重の深謀-意次伝』の連載を始めました。 佐是 恒淳 さぜ つねあつ|note すなわち https://note.com/tsunetory2022   です。 ここは、利用者(クリエイターと呼ばれます)が500万人を超える大きなプラットフォームだそうで、広く読んでいただける機会が得られると考えました。 HP「歴史小説のお誘い」ともども、御愛顧のほど、宜しくお願い致します。



 第一章「遠鳴」六節「長崎西濱町」では、冒頭、佐十郎の視点を借りながら、当時の蘭学の状況が語られます。カタカナによる外来語の表記を試みた逸話、濁点を導入した逸話などからわかるように、現代日本語を構成するいくつかの要素がこの時代に作られました。


 そして、幕末の外圧の始まりともいうべきロシア船の来航が描かれます。日本中が震撼する文化露寇の始まりです。このため、幕府は北海道から北方諸島を警備しなければならず、極寒の中、會津藩をはじめ東北諸藩に出兵を命じました。ロシアとは、この時期から因縁めいた歴史が交錯します。

 ロシアにしても、日本から食糧を買いたいという切実な願いがあって、貿易を望んだのでした。18~19世紀の国際状況の一端に日本が触れ始めたということです。


 私事ながら、孫が七歳と五歳の七五三を迎えました。種痘以前、子供が三歳、五歳、七歳を迎えられることが、いかに目出度かったか、あらためて思いを馳せました。祝いの席で孫の顔をみながら、佐十郎たちの苦心に感謝の念を捧げようと思います。

                                  恒淳 




  


       















                         



閲覧数:19回2件のコメント

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2 Comments


北薗 洋藏
北薗 洋藏
Nov 29, 2022

佐是様、今回も楽しく拝読いたしました。


言葉の表記、清音、濁音、拗音、大文字、小文字、活字体、筆記体 .....日常使っている文字について、その工夫に先人の大変な苦労を感じる機会になりました。漢字、ひらがな、カタカナなどを持つ現在の日本語も歴史の中での数々の人々の創意工夫と努力が隠されているということを認識できました。

今回のロシア船はペリー来航の50年程前のようですが、幕末激動への気配を感じます。先日、横須賀の三笠公園で「戦艦三笠」を見学しました。希望(ナジェージダ)号はバルチック艦隊とは逆方向で日本を目指したようですが一年二カ月に及ぶ航海、気の遠くなる思いです。当時と違って、交通網の発達した現在は地球が小さくなったようなものなのでしょう。


佐十郎をはじめとする柳圃門下生の活躍と諸外国の動向が牛痘種痘にどのような影響を及ぼしていくのかを楽しみに読んでいきたいと思います。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
Dec 01, 2022
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北薗様、コメントありがとうございます。

種痘を日本に取入れることを、すなわち、蘭学発展のひとこまと捉え、このあと蘭学全般のあゆみを書いていきます。前回、今回はその導入部。当時の日本の蘭学受容の状況を身近な例で語りました。ニュートン力学を読みこなしながら、一方で外来語表記をあれこれ模索していたという本木の話は、学問が進んでいくという実際の姿を見た気がしたものです。

ロシアとの関わり、幕府の対ロ対策、蘭学の進展の三本の糸が佐十郎を中心に絡み合って話が進んでいきます。どうぞこれからも宜しくお願い致します。

                                恒淳        

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