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執筆者の写真佐是 恒淳

『種痘の扉』第一章九節

 第一章「遠鳴」九節「ヤポーンスコエ・モーリェ」では、日本政府から通商を断られペトロパブロフスクに帰航するナジェージダ号が描かれます。この船に乗るレザノフは、失意と恨みを懐き、日本に報復してやろうと計画を練ります。松前藩が樺太に設けた番所が軍事的に脆弱であることを見てとり、襲撃地点の候補としました。択捉島も選びました。

 一方、艦長のクルーゼンシュテルンは、初めて日本海を航海するロシア艦の艦長として日本海を観察し続けました。彼は後に世界一周航海記を書くつもりで船上、準備に怠りありませんでした。特にヨーロッパにとって、この海域は未知であり海域名さえ付いていませんでした。彼は、長大な日本西岸(北海道西部から青森、秋田、山形、新潟から島根、九州北部)と朝鮮半島東岸と滿洲海岸部に囲まれる海に、「日本海」と名付けました。それ以来、世界で日本海と呼ばれています。クルーゼンシュテルンの命名の根拠・考察は今も通用する立派なものです。

 近年、北朝鮮、韓国が、この海域名を「東海」としようと世界的に運動してきました。東海と表記できないなら、少なくとも日本海に並記してほしいと世界に訴えてきました。すでに、この運動も下火になった感があります。朝鮮半島の東にあるだけの理由から「東海」と呼ぼうという提案と、クルーゼンシュテルンが海域を取り囲む海岸線の長さを根拠の一つにして名付けた「日本海」とその通用期間などを考え、当然の趨勢かと思います。政治的な思惑からこうした運動が朝鮮半島から起こったことは覚えておいてよいと思います。下記の原著論文は、この辺りの事情を詳しく論考してありますので、ぜひネットからご覧ください。

谷治正孝「世界と日本における海域名「日本海」の生成・受容・定着過程」  「地 図 」Vol.40 No.1 2002



 このあと、レザノフの怒りと恨みに満ちた日本侵略作戰が実施され、文化の露寇として知られます。開始されたとき、レザノフはシベリア経由でモスクワに帰国の途上、すでに死んでいました。

 文化年間におきた露寇は日本がロシアに侵略された最初の事件で、日露の緊張関係が始まります。現在から振り返って観ると、いろいろのことを思います。














日本側の記録によるナジェージダ号とレザノフ


閲覧数:5回1件のコメント

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1 Comment


北薗 洋藏
北薗 洋藏
Dec 16, 2022

佐是様、今回も勉強になりました。


『日本海』の命名にクルーゼンシュテルンが関係しているとは少々驚きました。ご紹介の論文も読んでみようかと思います。

『むくりこくり』は古くからの妖怪の名前だと思っていました。元寇当時の「蒙古高句麗」が語源とは、なるほどと納得。

外交交渉が難航すれば、武力に訴える...ロシアは野蛮な手段を何回繰り返せば気が済むのでしょうか。ロシア国民すべてとは思いませんが、プーチンのような人物を長年リーダーに選んでいる国民性に歴史を見るような気がします。強者に従うことは簡単ですが、そこが楽な方に流されやすい人間の弱点であることも知っているべきだと思っています。


政治的な主義主張は様々でしょうが、微力な一介の市民でも自国の政治の動きに無関心であってはならないと思います。

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