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執筆者の写真佐是 恒淳

『種痘の扉』四章九節


 井伊直弼が、これまでの将軍主治医、岡櫟仙院を代えたのは、岡がはきと将軍の病状を報告しないため気に入らなかったということもありますが、岡が一橋慶喜を将軍世子に推す目付、鵜殿長鋭の聟だったことも理由でした。鵜殿を罷免した以上、聟も信じてはならないと思ったのでしょう。

 そこで次の主治医は誰か、という段になって、蘭方医の伊東玄朴が選ばれるのです。これが、漢方の下風に立たされていた蘭方医学の発展の契機になりました。風が吹けば桶屋が儲かる式の、よくわからない偶然が重なったということでしょう。

 将軍の最期を看取る主治医がいかに政治性を帯びるかを知る好例が家定逝去の場面です。生きている間に将軍の名のもとに台命を発する必要があれば、政治性は自ずと高まります。


 余談ながら、鵜殿長鋭は文久年間に浪士組取締役となります。この組織は、清川八郎率いる尊王攘夷側(朝廷側/薩長側)と近藤勇率いる新選組(幕府側)に分裂し、幕末史に鮮やかに名を残します。鵜殿は浪士組結成者になる男です。

 

                           恒淳








  

















くちなしの花が咲きました。甘い香りは

この時期の楽しみです     

閲覧数:12回2件のコメント

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2 commentaires


北薗 洋藏
北薗 洋藏
23 juil. 2023

佐是様、終盤の展開を楽しんでおります。


蘭方医学⇔漢方医学、斉昭⇔直弼、慶喜⇔慶福、通商条約賛成⇔反対、様々な対立が絡んできており、世上騒然となるのも当然の時代だったのでしょう。その混乱を逃さず勢力拡大を図る玄朴の嗅覚の鋭さに政治感覚の高さを感じました。

牛痘種痘、蘭方医学普及が将軍家定の余命に繋がっていくとは私には意外な展開でした。


作品も最終盤に差し掛かるようですが、最後まで楽しく読んでいこうと思っています。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
23 juil. 2023
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北薗様、

 毎回ありがとうございます。

 幕末に多くの対立軸が生じるのは、やはり外圧なのだと思います。ペリーの砲艦外交によって日米和親条約が結ばれ、このあたりから外圧に負けて外国と条約を結ぶとは何事か、という水戸学派がさんざんに異を唱え始めます。その後、ハリスが下田に来航し通商条約を結べとうるさく言い立てます。幕府は安政三年末から四年にかけて、熱心に交渉を重ね日米修好通商条約案を完成させました。その後、よせばいいのに、勅許をもらいに行った堀田正睦が勅許を得られなかったあたりから、幕府=開港派、朝廷=開港反対尊=尊王攘夷という対立軸が生まれました。ただ、この対立軸は、倒幕のスローガンにされたところがあって、幕府を倒した明治政府は、即座に、開港、富国強兵、貿易推進に転じます。尊王攘夷の掛け声など弊履のごとく捨て去ります。

 とすれば、幕府を倒せる好機とみた薩長が尊王攘夷を唱えて幕府を思想的に追い詰め、最後は、西洋式軍備で幕府を倒したということでしょう。薩長の元君たちは閥をつくってたっぷり革命成功者の旨みを享受しました。

 そんな政治的、軍事的な混乱期に間隙をついて、玄朴は牛痘種痘を武器に、蘭方医学を中心に据えた医療行政を整えていくという話になります。


 さっきまで、遊びに来た孫をつれて、近隣の森林公園で水遊びを興じていました。真夏の日差しのもと、子供の歓声が森にこだまし、なんとも和やかな時間でした。歴史を振り返り、ウクライナを考え、この幸せが長く続けと、心の中で、祈らずにはいられませんでした。

                             恒淳 

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