井伊直弼が、これまでの将軍主治医、岡櫟仙院を代えたのは、岡がはきと将軍の病状を報告しないため気に入らなかったということもありますが、岡が一橋慶喜を将軍世子に推す目付、鵜殿長鋭の聟だったことも理由でした。鵜殿を罷免した以上、聟も信じてはならないと思ったのでしょう。
そこで次の主治医は誰か、という段になって、蘭方医の伊東玄朴が選ばれるのです。これが、漢方の下風に立たされていた蘭方医学の発展の契機になりました。風が吹けば桶屋が儲かる式の、よくわからない偶然が重なったということでしょう。
将軍の最期を看取る主治医がいかに政治性を帯びるかを知る好例が家定逝去の場面です。生きている間に将軍の名のもとに台命を発する必要があれば、政治性は自ずと高まります。
余談ながら、鵜殿長鋭は文久年間に浪士組取締役となります。この組織は、清川八郎率いる尊王攘夷側(朝廷側/薩長側)と近藤勇率いる新選組(幕府側)に分裂し、幕末史に鮮やかに名を残します。鵜殿は浪士組結成者になる男です。
恒淳
くちなしの花が咲きました。甘い香りは
この時期の楽しみです
佐是様、終盤の展開を楽しんでおります。
蘭方医学⇔漢方医学、斉昭⇔直弼、慶喜⇔慶福、通商条約賛成⇔反対、様々な対立が絡んできており、世上騒然となるのも当然の時代だったのでしょう。その混乱を逃さず勢力拡大を図る玄朴の嗅覚の鋭さに政治感覚の高さを感じました。
牛痘種痘、蘭方医学普及が将軍家定の余命に繋がっていくとは私には意外な展開でした。
作品も最終盤に差し掛かるようですが、最後まで楽しく読んでいこうと思っています。