三章七節「バタヴィア」では、ジャワの到着したシーボルトに総督カペレンがていねいにオランダの戦略と国益を語り、それに沿った日本のオランダ商館医の役割を説く場面から始まります。
カペレン総督は、調査費でも商館長を上回る額をシーボルトに与え、潤沢に調査の用意をさせました。この裏付けあって、シーボルトが長崎に持ち込んだ医療器具、実験器具、各種文献の豊富さは類をみることができないほどでした。こうして持ち込まれたシーボルトの道具、書籍があって初めて日本での蘭学、医学教育が充実したものとなり、鳴瀧塾の開設につながります。
商館医が、出島以外のところに詰めるなど前代未聞、驚くべき状況です。それほどに日本側の西洋文化、技術にたいする嘱望が大きかったということでしょう。鳴瀧塾で学んだ若い学徒が天保以降の日本の活動に大きな影響を与えます。シーボルトの日本調査作戰は順調に、しかし、ひそやかに開始されて行きます。
恒淳
佐是様、毎週ありがとうございます。
博学多才なイメージの強いシーボルトですが、その活動の裏にこのようなオランダの国策が隠されていたとは...。
兵要地誌調査まで指示されていたということは貿易独占のみではなく、あわよくば植民地支配まで視野に入っていたのではと勘ぐってしまいます。欧米列強にとっては植民地拡大が当然の時代だったのでしょう。
種痘や蘭学拡大の動きと併せ、シーボルトの動きも注視していきます。