伝法な生涯を送った馬場文耕の話を終えました。江戸時代の文人でここまでの極刑を受けた人はいません。幕府のある筋が、よほど危機感を覚えたということかもしれません。一説によると、竹内式部の宝暦事件を講釈に取り上げようとした試みを幕吏がいち早く探知し、余罪で捕縛し獄門に処したということです。この説の根拠は定かではありません。
私は、文耕が郡上一揆の件で不正にからんだ幕閣の醜聞を匂わせ、講談の演目として市中に広めたという罪で、捕らえられたと設定しました。捕縛の日は、本多忠央罷免の翌々日で、本多との関りがあるように思いました。
文耕処断の翌年、宝暦九年四月十日、幕閣ほか主だった者が集まりました。これまで幕閣は財務関係の向々から音物を受取ってきたが、これからは受け取らず、御側衆も同様である、と申し合わせました。翌日、田沼意次と稲葉正明から、小姓、小納戸、奥医師など奥向きの面々が笹ノ間に集められ、この旨、申し渡しました(馬場文耕集、月報4 今田洋三)。やはり、文耕に批判されたことを幕閣、側衆ともに控える動きだと思います。
社会の有力者の醜聞を世に暴露して、生計をたてられるほど、江戸の社会は成熟していたのだと思います。こういう人は、現在の世にもいて、1700年代中頃の社会以来のことだと思います。文春砲とさえ恐れられる週刊誌があり、暴露系ユーチューバーで逮捕された人さえいます。こうした報道をみるにつけ、なにやら、馬場文耕の時代と大きくは変わっていないのかと思います。このあと、江戸社会はいくつか筆禍事件を起こしますが、江戸時代は、相当に進んでいた社会だと思います。現代と二重写しのようで、面白く書けました。
近く、幕末期の四人を描いた小説『四本の歩跡』の連載を始めます。会津藩主松平容保、老中格小笠原長行、姉小路公知、三条実美の四人から見た幕末の混乱を4つの視点で描きたいと思います。今後とも、ご愛読を賜りますよう、宜しくお願いします。
恒淳
今年は猛暑で、栗の実りに影響があったとか
佐是様、「醜聞を甚振るー馬場文耕」読み終えました、ありがとうございます。
歴史小説であることを忘れさせるように、現在の世相と重なるような思いがしました。
報道機関もほとんどが営利企業である以上、スキャンダル的な特ダネも時には必要なことは理解しますが、「切り取り」「煽り」的な偏向記事を流すようであってはならないと思います。良識ある庶民は公正、公平な事実の報道を期待しているはずだと思います。
私の好きな吉村昭の作品の根底には史実は曲げて表現しない、不明な箇所は自分の推理で表現を行ったと読者に伝えるという姿勢があると思っています。報道機関関係者も、こういう基本姿勢をけっして忘れることのないようにしてもらいたいものです。
次回からの『四本の歩跡』もどのような角度から幕末が描かれて行くのか楽しみにしております。