この辺りを描きながら、日本って、すごいと思ったことがありました。それは、江戸、大坂、京都の歌舞伎の演目が毎年、毎月、日を追って、座ごとに記録されていることです。それは、『歌舞伎年表 全八巻』(伊原敏郎 1956-63 岩波)によって知ることができます。これを著した伊原先生(1870-1941)も偉いが、その元となる資料が残っていたのがすごいと思います。江戸時代、芝居小屋は何度も焼けましたし、おそらく、史料が残ったのは芝居小屋ではなく、芝居関係者の手記や日記だと個人的に想像しました。
また、その芝居の市井の評判も追うことができます(『歌舞伎評判記集成』役者評判記研究会 岩波)。二、三百年前から芝居の演目(座ごと、興行期間)がわかり、演じる役者がわかり、世評が文献的に追えます。役者がわかれば、浮世絵から姿、格好まで視覚的にわかる場合があります。
17世紀以降、ロンドン、パリの芝居の演目がどこまでわかっているのか、私は知りませんが、歌舞伎の記録の整っていることは、世界的にも相当なレベルではないでしょうか。文化史的な偉業だと感心した次第です。しかも当時、確立した振付がかなり保存されて現在に続いているのですから、古典芸能の息の長さと、現代にもエンターテインメントとして生き生きと発展的に演じられている適応力、それを楽しむ観客が確固としてあるのは素晴らしいと思います。浄瑠璃、落語、講談など江戸時代のサブカルチャーが現代でも立派に生きています。日本という国の保存のよさということをあらためて思いました。
恒淳
メタセコイアが実りました。日本ではアケボノ杉と呼ばれます。
ジュラ期のブロントサウルスも食べていたのかと、散歩しながら思いたくなります。
細川の紋所
九曜星
板倉の紋所
九曜巴
佐是様、今回も興味深く読ませていただきました。
昨日、亡父の三十三回忌法要で浄土真宗のお寺へ出かけていきましたが、それまでにこの章を読んでいれば「節談説教」について住職に質問していたかもしれません。先日読んだ近松の文庫本でも感じましたが、七五調を基に軽快に進んでいく日本の庶民芸能を実際に見てみたくなります。
左馬次の作品に企業小説に近いものを感じます。今頃と笑われるかもしれませんが数カ月前、山崎豊子の「沈まぬ太陽」を夢中になって読んでいましたが、企業小説の流れが江戸時代から続いているなどと思いもしません、不思議な気持ちになりました。
本多忠央に不穏な空気、次回を楽しみにしております。