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執筆者の写真佐是 恒淳

『将軍家重の深謀-意次伝』第三章一節

更新日:2022年10月28日



 第三章一節「道を探す」では、意次がついに御側御用人(側職最高位)に昇進します。御側御用人は二万石、城持ち大名の職位ですから、意次は相良に築城を許されました。それだけではありません。評定所では寺社奉行(大名職)の上位に処遇され、常任職では最高位となりました。側職と表職は決して同じ職域ではないはずでしたが、かつての側用人大岡忠光も若年寄を兼任し、奥向き(側職)と表の双方に重んじられました。意次は、宝暦八年に評定所の審議に加わるようになって以降、評定所と石谷率いる勘定所が、幕府の政策立案の策源地となってきました。

 

 意次は、将軍家治に商人への課税方法として仲間組合を結成させる案を報告します。当時の課税は、年貢なら百姓個人でなく村単位で徴収するように、同業商人たちの組合に課税するというやり方です。課税に関し、幕府は個々人を対象とすることをしませんでした。村なり組合なり、その組織の自主的な運営、管理に責任を持たせるやり方です。幕僚が少人数でもやれる工夫でした。


 意次は、家治から日光社参を計画せよと仰せつかり、費用捻出のための積立特別会計を設立したいと提案します。当時、幕府財政の立て直しの最中で、通常予算で日光社参に要する巨費を賄うことは無理でしたから、家治は老中から大反対されました。そこで、意次に、なんとかせよと頼み込むように日光社参を計画させるのです。日光社参は、家康廟に参詣する宗教行事に止まらず、軍事行軍演習の意味もあったのです。この大きな行事が途絶えてしまっては德川家の武威もすたると家治が危機感を持つのも一理あります。ここから、安永5年に日光社参を実施するまで、幕府上げて涙ぐましい倹約に取り組み始めます。予算という概念で幕府財政を管理することを考えた意次のやり方でした。


 仙台藩の伊達重村は、贈賄の甲斐あってか、念願の中将に任じられました。意次は、松平定信の時代に言われたような収賄政治家ではなかったことを言う伏線となります。





















閲覧数:15回2件のコメント

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2 Comments


北薗 洋藏
北薗 洋藏
Jul 04, 2022

商人への課税を進めるプロセスと予想される商人の激しい反発、また不気味な動きの伊達藩が気にかかります。「樅ノ木は残った」の原田甲斐を思い出します、伊達藩に暗いイメージを持ちすぎているようです。


効率的な村単位、組合単位での課税、なるほどと納得です。

日光東照宮参詣費用、貨幣政策、商人への課税等々、課題山積の意次の活躍に期待しています。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
Jul 04, 2022
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いつも、コメントありがとうございます。

 この時代、大名は功を遂げ、名をあげる機会はほとんどありませんから、伊達重村は、大藩の藩主が官位昇進に熱中した一例と言えると思います。伊達家は島津家に強い対抗意識を持っていたので、自分より早い重豪の昇進が悔しく嫉妬心に火がついて激しい猟官運動を展開しました。意次も金品を贈る一人の対象でしたが(つまり影響力のある有力な要路と見た)、意次は贈物を受け取るのに熱心ではないことが、伊達文書という一級史料に残っています。老中首座の松平武元、大奥御年寄筆頭次席の高岳は、ほいほいと収めたようです。

 当時、今では賄賂に当たるものが、さほど悪いものとは考えられていませんでした。賄賂に関する当時の考え方が荻生徂徠の『政談』に書かれています(岩波文庫『政談』P118)。慶長・寛永の頃まで幕府は大名の謀反を恐れ、経済力を削ろうとしていたから、老中も大名から金品を貰うことを幕府への奉公と考え遠慮しなかった。大老酒井忠清などは、遠慮なく賄賂を諸大名からとるので同僚の老中が諫めたところ「自分は賄賂を取りたくて取っているのではない。諸大名の財政力を弱めるためにしているのだから何らやましいことはない」との逸話が残るほどです(『将軍と側用人の政治』P65)。

 特に、寛保二年(1742)八月の関東一円の大洪水の復興のため、幕府は肥後細川、伊勢藤堂、長門毛利ら十人の大名に「関東利根川御普請御手伝」を命じ水防工事を大名に負担させる政策を本格的に復活させました。御手伝普請の選定には法則性がなく任命は恣意的で、老中の胸三寸にあります。これを免れるため賄賂を使う風潮になりました(『将軍たちの金庫番』佐藤雅美、新潮文庫P40)。

 松平定信の世に、意次は賄賂政治家と大いに喧伝されますが、意次の攻撃に使われたものの、賄賂が社会悪という考え方ではありませんでした。日本には、賄賂性はなくとも、中元、歳暮の贈答習慣がありました。定信の世では、これも賄賂というようなことで意次を責めたのかもしれません。

                               恒淳 

 


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