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執筆者の写真佐是 恒淳

『将軍家重の深謀-意次伝』第二章四節

 第二章四節「蛍に祈る」では、家重の一周忌を前に、倫子が大奥内泉水に蛍を放して家重を偲ぶ情景が描かれます。かつて倫子は、生後一年を満たさず千代姫を喪い、悲嘆にくれていました。家重から贈られた蛍によって、傷心の倫子はようやくなぐさめられたのでした。家重一周忌の前日、再び蛍を放ち、倫子は家重を偲ぶと同時に、明日に向けて一歩を踏み出す勇気を得た気持ちになりました。


 実は、意次が家重に奨めて、傷心の倫子に蛍を贈るよう手配したのでした。その縁が、今度は倫子から依頼され家重を追悼する蛍を手配することにつながりました。意次は、それとわからぬよう、蛍によって、家重、家治、倫子の間に心の安らぎをもたらしたのでした。これが家重一家に尽くす意次の忠義でした。こういう細やかな心配りのできる人でした。


 意次が倫子に説得しなければならないのは、家治に側女をおき男児出生を期待することでした。倫子の心を傷つけないよう意次がいかに説得したか、この節で語られます。それもあって、倫子は側女が間近く出産する状況でも、おおらかな心持で過ごすことができました。


 一方、意次は勘定奉行石谷清昌に長崎奉行を兼任させ、長崎貿易の利潤を幕府財政へ組み込む策に乗り出しました。長崎貿易は運用によっては大きな利が得られます。このところ停滞気味だった長崎貿易の管理体制を一新させ、利潤を幕府財政にいかに取り込むか、長崎で、石谷清昌がいかに八面六臂の活躍をしたか、このあとの節で語られます。お楽しみになさってください。







戸隠に水芭蕉が咲いていました。当たりの湿原一杯に咲き誇り、凛冽たる雪解け水と共に、北信州の早春を彩っていました。きれいな水のせせらぎは耳に快いものでした。

閲覧数:42回2件のコメント

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2 Comments


北薗 洋藏
北薗 洋藏
Jun 01, 2022

石谷清昌の長崎奉行としての動きが楽しみです。

また伊奈半左衛門忠宥も活躍するような気がします。

時代は少し遡りますが、富士大噴火からの復興で活躍した伊奈半左衛門忠順を新田次郎の小説で読んだことがあります。伊奈家にも傑出した人物が多く出ているのでしょう。

種々の施策などで表に出ることはまずないと思いますが、大奥の倫子の動きにも期待しています。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
Jun 01, 2022
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 毎週、読んでいただくだけでなく、励ましのコメントを頂けることに感謝、感激です。ありがとうございます。

 小説はテーマを緊張感をもって追及する核心の部分と、少し遊び心をもってほっとする箇所をうまく配置しなければならないそうです。そういう意味で、今回は、倫子の心情を追いながら、夏空に蛍を眺める場面をおいてみました。


 講釈師の馬場文耕が書いた江戸城内の内幕暴露本「宝丙密秘登津(ほうへいみつがひとつ)」(宝暦七年三月)には、西ノ丸大奥時代に倫子が蛍を所望した次のような話が載っています。


 あるとき、倫子が観賞用の蛍を代官伊奈半左衛門に納めさせたが、「其色合、宜しからず。随分吟味致し上げ候様」とされた。そこで小石川周辺の蛍を集め、再び納入したところ、「未だ御心に応ぜず、宇治勢田の蛍には更に似ずとて御意に入らず」とのことで、伊奈は困ってしまった。そこで助けてくれたのは御三卿の田安宗武夫人森姫で、「王子の麓に石神井川と申所これ有り候由、此所蛍の名所とて其蛍を取寄候事これ有り候、其蛍能く宇治の照に似候」と教えてくれた。これを聞いた伊奈が王子の蛍を納め、「其蛍の照、誠に宇治の如きとて甚だ御賞玩遊ばされしと也」となった(「德川大奥事典161頁」「未刊随筆百種第十423頁」三田村鳶魚校訂、昭和44年複製版 臨川書店)


 本当のところを明かせば、私はこの挿話をもとに倫子が家重を追悼する場面を創作し、意次の心配りの一つとしました。史料の枠組の向うに見える人間性を創作したつもりで、実話ではありません。


 幕政において通常は、代官の伊奈や御鷹野役所が江戸近郊で蛍、鈴虫、松虫などの虫類を村々に取らせたり、虫屋から購入して納めることになっていました。ただ歴代の方々の中で、倫子だけは、蛍の良し悪しを見別ける審美眼をもったやんごとき御方だと諸役人は恐れ奉った、という終り方になっています。

 馬場文耕は、家重の小便の話を本に書いた人で「小便公方」の綽名の元になった人です。家重と側衆に反感を持っていた節がありますから、「審美眼をもったやんごとなき御方」というのも一種の皮肉かもしれません。


                                  恒淳


 

 

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