第三章四節「尽きず湧きくる」では、川井久敬が京都から戻って勘定奉行に昇進しました。これは本命の新貨鋳造を準備する人事が発令されたということです。明和五匁銀で金銀相場からの脱却を目指し、真鍮四文銭の少額貨幣で庶民の経済を活発化しようとした川井に、新貨発行を本格的な財政改革の柱に据えさせるための人事です。
川井は意次、石谷清昌、水野忠友と共に、家治臨席の許、近く始める倹約(経費削減)の基本方針を話し合います。倹約の主たる目的は、日光社参に要する費用を積み立てることです。家治が日光社参を希望しても常に老中から反対されるので、困り果てて意次に持ち込んだ案件でした。意次は慎重に下準備を勧め、水野忠友を勝手掛(財政担当)若年寄に据えて、情勢を有利に動かしてきました。積立金だけで賄えるなら日光社参に反対しないとの同意を老中首座から取付けてきたのでした。家治も倹約に協力し、自分の使う予算の削減を喜んで受け入れました。
それだけでなく、意次らは、倹約を機に幕臣らがもつ「貴穀賤金」の意識を変えようと密かに考えました。意次らは、お金を重視し、商業を活発化し、商人に課税しようと考えていました。お金を賤しむという幕僚の意識は、見えないところで障害になっているのを感じていました。
お金を賤しむではありませんが、これに通じるような意識が今も残っていることはないでしょうか?額に汗したお金は尊い、株で儲けたお金はそうではない、という意識がないでしょうか?岸田総理が力をこめて、「これからは貯蓄より投資」と言うのはなぜでしょうか?日本は有数の貯蓄を持っていますが、それに比べ投資、金融資産保有が低いのはなぜでしょうか? 一攫千金や濡れ手に粟という言葉は、成功した投資が立派だったと評価するのではなく、なんとなく悪く言うニュアンスがないでしょうか?
少し前まで、株でお金を儲けてもいいのだろうか、と思うような人がたしかにいました。日本人は清貧という言葉が好きです。豊かで清く生きるより、貧しく清く生きるほうがいいと思っているふしがあります。土光会長は朝食にめざしを食べているという報道が国民の支持を集め、「増税なき財政改革」を成功させました。日本人は、こういう姿が好きなのだと思います。どことなく「貴穀賤金」と通ずるような気がします。
江戸の町が風水害で痛めつけられた直後、倫子は34歳で亡くなります。十歳の家基は将軍世継ぎ。その成長を楽しみに倫子は逝きました。
榛名神社
財政再建策への意識改革、下地づくりは着々と進んでいるようですが、片や一橋治済が不穏な動きを始めかねない様子。
田沼意誠がどういう役割を果たすのか、今のところ読めません。
倫子早世、驚きました。竹千代の運命に暗雲が漂い始めたように感じます。
財政政策と権力争いが絡み合って進んでいきそうで目が離せなくなります。
なるほど、「株屋」という響きよりも「清貧」の方に惹かれる私も意識改革のできていない昔気質なのでしょう、残念ながら。