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執筆者の写真佐是 恒淳

『将軍家重の深謀-意次伝』第三章四節

更新日:2022年8月5日

 第三章四節「尽きず湧きくる」では、川井久敬が京都から戻って勘定奉行に昇進しました。これは本命の新貨鋳造を準備する人事が発令されたということです。明和五匁銀で金銀相場からの脱却を目指し、真鍮四文銭の少額貨幣で庶民の経済を活発化しようとした川井に、新貨発行を本格的な財政改革の柱に据えさせるための人事です。

 

 川井は意次、石谷清昌、水野忠友と共に、家治臨席の許、近く始める倹約(経費削減)の基本方針を話し合います。倹約の主たる目的は、日光社参に要する費用を積み立てることです。家治が日光社参を希望しても常に老中から反対されるので、困り果てて意次に持ち込んだ案件でした。意次は慎重に下準備を勧め、水野忠友を勝手掛(財政担当)若年寄に据えて、情勢を有利に動かしてきました。積立金だけで賄えるなら日光社参に反対しないとの同意を老中首座から取付けてきたのでした。家治も倹約に協力し、自分の使う予算の削減を喜んで受け入れました。

 それだけでなく、意次らは、倹約を機に幕臣らがもつ「貴穀賤金」の意識を変えようと密かに考えました。意次らは、お金を重視し、商業を活発化し、商人に課税しようと考えていました。お金を賤しむという幕僚の意識は、見えないところで障害になっているのを感じていました。


 お金を賤しむではありませんが、これに通じるような意識が今も残っていることはないでしょうか?額に汗したお金は尊い、株で儲けたお金はそうではない、という意識がないでしょうか?岸田総理が力をこめて、「これからは貯蓄より投資」と言うのはなぜでしょうか?日本は有数の貯蓄を持っていますが、それに比べ投資、金融資産保有が低いのはなぜでしょうか? 一攫千金や濡れ手に粟という言葉は、成功した投資が立派だったと評価するのではなく、なんとなく悪く言うニュアンスがないでしょうか?

 少し前まで、株でお金を儲けてもいいのだろうか、と思うような人がたしかにいました。日本人は清貧という言葉が好きです。豊かで清く生きるより、貧しく清く生きるほうがいいと思っているふしがあります。土光会長は朝食にめざしを食べているという報道が国民の支持を集め、「増税なき財政改革」を成功させました。日本人は、こういう姿が好きなのだと思います。どことなく「貴穀賤金」と通ずるような気がします。

 

 江戸の町が風水害で痛めつけられた直後、倫子は34歳で亡くなります。十歳の家基は将軍世継ぎ。その成長を楽しみに倫子は逝きました。
























榛名神社




閲覧数:16回2件のコメント

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2 Comments


北薗 洋藏
北薗 洋藏
Jul 25, 2022

財政再建策への意識改革、下地づくりは着々と進んでいるようですが、片や一橋治済が不穏な動きを始めかねない様子。

田沼意誠がどういう役割を果たすのか、今のところ読めません。

倫子早世、驚きました。竹千代の運命に暗雲が漂い始めたように感じます。

財政政策と権力争いが絡み合って進んでいきそうで目が離せなくなります。


なるほど、「株屋」という響きよりも「清貧」の方に惹かれる私も意識改革のできていない昔気質なのでしょう、残念ながら。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
Jul 26, 2022
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北薗さま、

 コメントありがとうございます。拝読すると、脳のどこかが刺激されるようなお言葉をいただきました。私は次のようなことを思いました。


日本人の意識構造

 私はお金儲けが好きで貯金通帳の数字が増えていくのを見て楽しめる人を知っています。一方、お金は、自分の望むささやかなことをやれれば十分で、あまりたくさん持っても仕方ないという人も知っています。こういう意識はどのように生まれ変遷してきたか、学問的に追及すれば興味深いのですが、私にできませんので、主観的に考えてみました。

 豊臣政権末期、政治的権限を与えられたのは五大老で、徳川家康(255万石)、毛利輝元(112万石)、上杉景勝(120万石)、前田利家(83万石)、宇喜多秀家(57万石)でした。皆、大きな領国(当然、多くの家臣)を持っていました。豊臣政権は政治的実力と経済的実力が相関する組織でした。

 一方、徳川政権は、いろいろの理由がありますが、政治的実力と経済的実力(領国の大きさ)を相関させない組織として設計され、その方針は最後まで維持されました。德川政権の老中はたいてい、小、中大名です。大大名は譜代にはおらず外様に限られ、外様は政治に関わらせなかったためこうなったのでしょう。德川の譜代は、自分の領国が大きくなるより、主君德川家が大きくなることを望んだという戦国美談ふうの話も聞きますが、最も忠義を尽くしてくれた譜代に領地で酬いず、政治力を与えて酬いるというのが德川幕府の最初からの方針のようでした。このような報われ方こそが門閥譜代の矜持の原点でした。

 大名の本当の偉さは政治にどこまで関われるかであって、領国の大きさ、経済力などではないという考え方が育ったのではないでしょうか。いざとなれば死して主君を守るという覚悟をもって、武士らしい武士を家臣に抱え、戦に備えるとの誇りがあったでしょう。戦国から織豊政権を経て、徳川の世になっても、こういう考え方の武士は多かったように思います。

 それが、そういう考え方では通じにくくなってきたのは貨幣経済が発達したからでした。経済政策をあらため、意識改革が必要とされるにいたる事情は小説に書いたとおりです。しかし、不必要な金は持たなくていいという考え方は、今も残っているかもしれません。

 児孫のために美田を残さず と詠んだ明治維新の大立者もこういう精神を持った人でした。政府の最高官である(あった)にも関わらず兵児帯一本を締め犬を連れ歩く姿に、日本人は嬉しくなります。時の蔵相を「三井の番頭さん」と揶揄してのける精神に多くの日本人は痛快な気持ちを持ちます。私欲を捨て最期は無惨なことになる悲劇性と相俟っていまだに大の人気です。山形県庄内地方にまでその敬意は続いています。土光さんのめざしと比べるのも気が引けますが、精神は似ていると感じる人が多かったのだと思います。お金に興味があることに対し、いい悪いは別にして、ネガティブな意味を持つのは一攫千金、濡れ手に粟以外に「銅臭」という言葉もあります。お金ばかりに焦点を合わせたような生き方を嫌う意識構造が、今やわずかかもしれませんが、日本人にはたしかにあります。


マックス・ウェーバーによる新教徒の意識構造

 ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、どういうわけか、カルビニズムを奉ずる新教徒のほうが社会的成功者、お金持ちが多いという社会調査の結果に着目し、その意識構造を論考しました。ざっくりと言うと、神の栄光を高めるという宗教上の意欲が社会、経済行動と結びつき、お金を貯めることが神の栄光を高める有力な手段だというように意識の中で宗教的に動機化されたのが資本主義だというのです。

 この意識には、銅臭のようなお金にネガティブなニュアンスを持つ言葉が成立する余地はありません。お金持ちは、すなわち、神のためになる者と考えがちです。めざしを喰って清貧に甘んずるなどという態度は、神を蔑ろにするものということになりかねません。本当にアメリカを牛耳るのは国際金融家、超資産家だとはよく言われます。世界のどこでも、お金持ちが政治的力を持ちます。政治的力を持った者はお金を集めます。政治的権力と、経済力を分離したのは、日本だけでした。日本も欧米化していますが、心のどこかに清貧を貴ぶ心が残っています。

 中国はどうか、韓国はどうか、インドはどうか、考えてみると、お金への向き合い方で国民の意識構造がわかるような気がします。北薗さまのお陰で、いろいろ考える機会をえました。私も、清貧ということばが好きです。


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