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執筆者の写真佐是 恒淳

『将軍家重の深謀-意次伝』第三章八節


 第三章八節「民に力あり」では、意次が石谷と川井を連れ三股新地を微行で視察する場面が描かれます。この地はもとは川の中州、全くの未利用地でしたが、願い出た町の有力者に許可を与えてやると、民間の力を集めて埋め立て盛んな繁華街ができました。民の力を引き出し経済を盛り立てる意次らの政策を地でいくような町です。

 屋台見世なる商いの姿も出現したばかり、庶民相手に食べ物を盛んに商っています。三股富永町がどんな町だったかを書くため『中洲雀』という本を見つけました。序には安永六年とあり、小説の安永四年の場面を描くにはもってこいの史料でした。具体的な事物はほぼ忠実にこの本(『洒落本大成第七巻 183頁』昭和五十五年 中央公論)に準拠しました。

 綿飴も屋台見世で売っていたと初めて知り、江戸時代の綿飴はどうやって作ったのか、そもそも現在の綿飴と同じものなのか、などなど、想像をたくましゅうする楽しい時間を持ちました。また、江戸学の大家、三田村鳶魚は、屋台見世を天明5年(1785)以来のことと画定しましたが、上記『中洲雀』では屋台見世の盛んなことが書かれています。

 『中洲雀』では、構え第一の料亭として「四季庵」が詳述されていますが、小説では第二と言われる「楽庵」を舞台にしました。楽庵は静かにして奥床しき座敷の様子、庭の作りすべて茶方の心あるは、さながら千の利休がぬけがらかと怪しまる、という文章をもとに書きました。

 経済政策だの、治済の策略だの、田安賢丸の養子の話だの、厄介な話が続いたので、少し肩の力の抜ける節を設けました。ほっとして江戸情緒をお感じになっていただければこの上ない喜びです。


 意次ら三人は楽庵の閑雅な座敷で、株仲間を対象に町方に税をかける方策を語り、関東一円164河岸に幕府公認を与えて再編成する舟運促進策を談じ、田安屋敷から出ようとしない松平定信を白河藩邸に移すことなど、幕政の方針を確かめます。意次の許、有能な部下が集まり政策を進めていくさまは爽快です。

 株仲間には、税を徴収する代わりに販売独占権を認め、利益を保証してやる方式は、町方から徴税する実際的な方法だと言えます。一方で賄賂の温床になりやすい側面も確かにあります。後に松平定信一派は、この点を批判し、悪徳政治家、収賄政治家のイメージを作っていくことになります。


 夏休みの行事のため更新日がイレギュラーとなり、御迷惑をおかけします。読者の皆様には、どうぞお健やかにお過ごしください。

                                       恒淳






















入笠山のヤマユリ



閲覧数:24回2件のコメント

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2 comentarios


北薗 洋藏
北薗 洋藏
20 ago 2022

史料に基づく三股富永町の描写とのこと、確かに江戸時代の風景を想像することが楽しくなります。


広く、薄く、多業種の株仲間からの徴税、また日光参詣に伴う倹約令終了に合わせた政策開始時期等よく練られた計画、このまま進んでいけばと思います。

これから治済、定信の暗躍が始まりそうですが、川井に少しでも良い方向にいくように活躍してもらいたいものです。


目次を見る限り、残すところ第四章と終章、期待と寂しさを感じています。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
20 ago 2022
Contestando a

北薗さま、

コメントありがとうございます。


私は、人形町/水天宮のロイヤルパークホテル裏手に建つ「みつまた」の石碑、中央区立蛎殻町公園などに行ったことがあります。みつまたの辺りに、富永町を想い起こす縁など全くなく、首都高とエアターミナルの喧騒だけでした。それも当たり前、これほど繁盛した富永町も、すでに定信の時代、少々の水害被害を受けたのを理由に、取り壊され、埋立に使われた土は掘り起こされ墨堤に再利用されました。全く元通りの川洲に戻されてしまったのです。こんな悲しい歴史がある町です。


小説では、いろいろ政策がうまくいっています。それが、一転、多くは定信にひっくり返されることになります。意次は民が楽しく過ごせる世をめざし、定信は武士のかつての誇りを維持できる世を理想としたで、意次の商業、流通を発展させる努力は、定信には悪魔の所業と映ったのかもしれません。価値観が異なる二人でした。


御三卿家は設立されて間もない寶暦、明和、安永の時期、かなり不安定な立場に置かれました。田安家と清水家が明屋敷となり、一橋家のみ隆盛となり一橋家から将軍が出るに及んで、一橋から田安に養子が行って再興されました。一橋家は将軍の実家として大切にされ、田安も大切にされ、吉宗が設けた御三卿家の運営方針と離れて明屋敷にされる不安定さは無くなります。幕末に活躍する松平春嶽は一橋からきた養子が再興した田安の生まれで、のちに越前松平家に養子に行った人でした。


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