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執筆者の写真佐是 恒淳

『将軍家重の深謀-意次伝』第三章二節

更新日:2022年10月28日

 第三章二節「双葉より臭う」では、初めて一橋治済(はるさだ)が登場し、一橋家家老の田沼意誠(意次の弟)と世情を語る場面が描かれます。

 話題になったのは、この年、発行された真鍮四文銭です。庶民の経済活動を活発化させるために、少額貨幣が重要だと川井次郎兵衛久敬は常々、言っていました。この通貨によって、世間の価格設定まで変わることになります。この通貨は、前々回のブログで写真をお見せしました。裏面の波の意匠、青海波のデザインが特徴です。


 将軍世継ぎを出す御三卿家とは、将軍に嫡男が授かりさえすれば、ほとんど存在価値がなく、諸藩に養子を出すだけの家です。治済は一橋家当主になって養子に出る不安から解放されました。御三卿家の一つ一橋家に育ったため、幕閣の意向に敏感で、家を守りたいという気持ちが強い青年です。治済は若いながら喰えない男に成長し、謀略にみちた生涯を送ります。田安家に生まれた定信は養子にだされ、苦悩に遭遇します。どちらも、側衆を嫌うことでは共通します。

 小説の後半では、意次の経済政策の進展とともに御三卿家の関りが重要になってきます。






閲覧数:12回2件のコメント

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2 comentários


北薗 洋藏
北薗 洋藏
10 de jul. de 2022

通貨流通が当然の世の中に生活しているので、五匁銀、四文銭の浸透効果には考えが及びませんでした。少額貨幣の利便性の流通・経済への活性化効果に納得です。

日光参詣反対派の松平武元、暗躍しそうな一橋治済の動きが気になります。御三卿家の将軍跡目争いも絡んでくるのでしょうか、思わず次の将軍家斉の出自も調べてしまいました...次回以降、興味津々です。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
12 de jul. de 2022
Respondendo a

毎回、コメントを賜り、本当にありがとうございます。


 真鍮四文銭は、大蔵省の『新旧金銀貨幣鋳造高并流通年度取調書』(明治八年)によると、明和四年(1767)から万延元年(1860)の94年間に1億5742万5360枚が発行されました(原典は国会図書館デジタルライブラリーで簡単に見られます。その41頁)。これだけ長期に大量に発行されたというのは、銭貨として成功したといっていいでしょう。

 ところが、当時、四文銭を鳥にたとえて皮肉る落首がでたということです(『田沼時代』辻善之助 岩波文庫172頁)。


ちかき頃青海鳥というあく鳥でる。もとは田の沼より出る。亀井戸(鋳造所があった)辺より多く生ず。町中飛びあるき、民家へゆけば早々おい出す。毛黄にして、うしろに青海波を負う。なくこえ四文、四文という。(中略)大あく鳥なり。

◎四文銭 色はうこん(右近/鬱金)でよけれども かわい(可愛い/川井)や後はなみの一文

   (右近は松平右近将監武元のこと、鬱金はターメリックの黄色)


恐らく、天明八年以降、定信の息のかかった者が、ともかく田沼は悪いと言いふらす意図のもとに作られた落首でしょう。真鍮四文銭はいい通貨だったという前提で小説を書きました。


家斉の出自をお調べになられたとのこと、大きな流れをよくご存じだと思いました。そうです、治済は将軍家斉のの実父です。なぜ家治の嫡男竹千代が将軍にならなかったのか、そこには大きな訳がありました。

                              恒淳


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