「第三節 天命を知る」では、九代将軍家重が生まれついて障害を負い、どのような暮らしを送って将軍になったかを書きました。準拠したのは、篠田達明著『徳川将軍家十五代のカルテ』です。その一部を引用させていただきます。
たいていの歴史書には八代吉宗のあとを継いだ家重は生来、病弱で暗愚だったと記されている。名君のほまれ高い父吉宗とは似ても似つかぬ不肖の子であり、大酒飲みで癇癖の強い将軍だったという風評もある。父吉宗が体格堂々として壮健だったから、いっそう虚弱さがきわだった。だが、わたしは家重が暗愚だったという説に異議を唱える。それどころか、かれは知的にすぐれた脳性麻痺者だったと推察する。(篠田達明『徳川将軍家十五代のカルテ』新潮新書より)
医師の篠田先生は、脳性麻痺の三大原因に、①未熟児出産、②仮死出産、③黄疸をあげられています。脳性麻痺の方は、生まれるとき運動神経がやられたものの知能は正常の場合が多いと指摘され、家重が将棋を好んで棋士たちと指したという挿話を紹介されています。
私は、意次の推進した幕府の財政再建策や経済政策が、将軍の強い後押しなしで実施できるとは思えず、むしろ、意次を手足のように使って政策を実行させたと考え、家重の卓越した能力を前提として小説を書きました。『徳川實紀』の「惇信院殿御實紀附録」などの史料に書かれる家重の一見、芳しからざる逸話の向うに、書き手の温かい眼差しと、家重の、実は知的な振舞が見えてくるような気がします。
寒緋櫻咲く(運動公園にて、2022年3月25日撮影)
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