第二章二節「褥に上げる」では、倫子が産んだのが姫だったとわかると、意次は側女を置くよう家治に奨める場面が描かれます。家治は男児を得なければならず、かといって倫子に三人目の出産を期待することは大奥の習慣に反することでした。三人もの出産は母体に危険を及ぼしかねないという考え方です。
九月十三夜の月見の晩、意次の連絡を受け、松島は子飼いの中﨟お知保を家治の寝所に上せました。お知保は、のちに男児を産み家治の期待に応えます。
大坂で在庫米が積み上がったため米価の暴落が予想され、意次は石谷と暴落を防ぐ手立てを相談します。その背景を伝えるために、当時の米の売買法、大坂堂島の米市場の仕組みと機能を小説的な筆致で説明しました。
大坂に精緻な取引市場が成立し、先物買い(帳合米商い)まで盛んになされていたのは、18世紀の世界で偉観です。日本はこの時代から自由経済が始まっていたことを知って感心しました。多くを『大坂堂島米市場』高槻泰郎著に教えられました。高槻先生は、日本が鎖国中でありながらも独自に市場を発展させた足跡を明らかにし、世界トップクラスの経済インフラが確立されていた德川中期の日本を知るまたとない著作をお書きになりました。
石谷率いる勘定所と意次主導の評定所の能力を使って亡き家重の遺言を実現すると意次は改めて心に誓います。実際にどんな手を打ったのか、それは次節をお待ちください。意次の業績を書くことは、当時の経済政策をみていくことであり、その背景、当時の実体を読者に知っていただく必要があり、経済史をどう書くか苦心しました。そもそも面白いと思ってもらえるのか、ずっと不安を抱えて書いていました。
身延山久遠寺三門
当時の米市場の先進性に驚かされました。
意次と石谷がどんな対策を講じるのか楽しみです。
機会があれば『大坂堂島米市場』も取り寄せて勉強してみようかと思います。