この節は、姉小路暗殺の構図を私なりに再構成して創作をいれながら書いてみました。
この謀略で、判明している歴史的な事実は、次のとおりです(『島津久光=幕末政治の焦点』町田明広P156)。
①現場に遺棄された刀は田中新兵衛のものだった
➁姉小路の従者中条右京は剣の遣い手であり、狼藉者に手疵を負わせた。田中も、この頃、
手疵を負っていた。
③中条は、町奉行で自決した田中の顔を見て、犯人だと証言した
④犯人は三人だった
当時から、犯人は誰かと、いろいろ憶測をこらす向きも盛んでした。
『中山忠能日記』五月二十二日条には、犯人は、①幕府奸吏、➁侍従滋野井公壽と大夫西四辻公業、③会津藩士、④大坂与力同心関係者 の可能性が書かれています。
『東西紀聞』『京武坂風説』には出奔した滋野井、西四辻から実行犯が頼まれ、二人が具体的な指示を下したとする黒幕説が書かれています。滋野井、西四辻の姉小路に向けた遺恨は、当時、流布していたようなのです。
私は、姉小路を最も排除したかったのは、長州志士だと思い、寺島を想定しました。長州志士というところまでしか私の推理はいかず、長州志士の中の誰かまでは、本当は言うことはできません。寺島なら天誅の経験からこの位の謀略は考えるかなと思う程度です。あとは、小説的な構成上、寺島として書いてみました。基本的には史実に基づくという立場で書いていますが、この部分だけは根拠がありません
東山大文字あたりの京町家
佐是様、
田中新兵衛は武市によって、人斬りにさせられたようなものですから、土佐勤王党一派によって公知殺害の犯人に仕立て上げられたのではと、個人的には思っていました。
新兵衛も武市に会わなければ、もっとまともな尊王志士としての人生を送れたのかもしれません。師と友は選ばなければ、ということでしょう。
真犯人が誰であったかはさて置き、薩長土の勢力争いの影響があったのは可能性が高いように思います。
商人出身の本間精一郎が登場しましたが、この時期には豪商、農民層から世に出ようという人びとも多かったように思います。森山新蔵、相楽総三、渋沢栄一、近藤勇......郷士層を含め、長年虐げられてきた鬱憤が、混乱した世の中に捌け口を求めたのだろうと思います。
寺島忠三郎、西四辻公業、滋野井公寿の暗躍を注視したいと思います。