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執筆者の写真佐是 恒淳

『四本の歩跡』第二章四節「花陰に香る」

 長行は、山内容堂と蜂須賀斉裕が描いたシナリオに沿って、少しづつ世に出てきます。安井息軒は状況を見ながら、松田迂仙の娘美和を長行の側室に勧めます。美和は海軍中将・小笠原長生(1867年12月15日~1958年9月20日、90歳没)の実母です。

 その労を取ってくれた礼に長行が息軒に扇を贈る今回のシーンは全く私の創作です。実際に、この種のやり取りはあったに違いありませんが、私的に過ぎて史料に残らないものです。


 私の中学時代の友人の御父上が書家でした。杉崎雨泉と号され、昭和57年(1982) 第1回文京書人会発起人の一人に名を連ね、平成10年(1998)名を改めた「文京区書道連盟」の理事長に就任されました。隷書を得意とされ、隷書の好きな私にいろいろお話をしてくださいました。その話題、話の雰囲気に、私は常に文人、文雅というものを嗅ぎ取ったものでした。

 昭和52年、学生だった私に佳句を書いた扇子を下さいました。それが、下の写真です。昭和52年(1977)は丁巳で、小説の長行のシーンから丁度120年後の年です。私は、吉祥寺を長慶寺とだけ書換え、あとは全て、いただいた扇面の書を小説に使いました。なにやら、半世紀の前の私的な思い出を小説に当てはめ、執筆した時はとても懐かしく嬉しかったことを思い出します。

 


窗近芲隂筆硯香 丁巳夏於吉祥禅寺畔 雨泉書


 



 雨泉先生は隷書の達人で、吉祥寺(文京区)の寺碑は、先生が書き、石刻されたものです。その先生も随分前に、逝去されました。



 吉祥寺は東京都文京区本駒込三丁目にある曹洞宗の寺院(写真はwikipediaより)。ここらあたりは私の育った界隈で、中学生時代、のちに英文学の大学教授になった畏友と遊んだところです。

 今回は、私事にまつわる話を書いてみました。

                           恒淳

閲覧数:7回2件のコメント

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2 comentários


北薗 洋藏
北薗 洋藏
18 de fev.

佐是様、


今回は、学問の世界の広がりを感じました。藩世子までたどり着けたことは、わが身の不遇を嘆かず、学問や武芸に努力したことが、学者や開明派大名に認められたのでしょう。大器晩成とは言いますが、やはり何事にも若いころからの地道な努力が必須だと感じつつ、わが身を反省する次第です。

書の世界は私などにはほとんどなじみがありませんが、隷書という単語になぜか山岡鉄舟を思い出しました。


いよいよ長行が表舞台に登場、どういう活躍が始まるのか楽しみにしております。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
18 de fev.
Respondendo a

北薗様、

ありがとうございます。江戸時代教養人の素養は、儒学、漢学(書、軸、漢詩、南画など周辺素養を含む)と武芸(剣術、馬術、弓術、水練など)でした。これらの素養を通し練達の士は深い精神性に達していました。さらに遊芸では茶、和歌、俳句、繪、鼓など広範な趣味の世界が広がっていました。西洋流の体系とは異なりましたが、文化的に立派なものだと思います。

こうした素養に裏付けられて、人とやりとりし、時に集まって趣味の世界を語るような社会ができていました。長行をこうした世界に遊ばせてみたいと思い、小説ではこの節を設定しました。長行の風流世界に穏やかに起居できるのもあとわずかです。天が望んだ如く、世が必要とした如く、長行は数奇な経緯で、激動の幕末政治に巻き込まれて行きます。

                      恒淳

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