容保の章で語った安政の大獄や桜田門外の変を別の立場から描きました。幕末のような重層的、多面的な政治現象をどう描くか、私なりに悩んだ末の工夫です。事件を各章ごとに、別々の視点で描き、それぞれの主人公の心情を重ねて描いてみました。
安政四年までに、阿部正弘を中心に幕府はそれなりに体制を整え、異国への対応をとれるまでになっていました。阿部が若くして逝き堀田正睦が後をついだ許で、岩瀬忠震がハリスと交渉を重ね、日米修好通商条約案をまとめあげるなど、実に立派な歩みだと思います。それが勅許を得られなかったばっかりに、無勅許の条約締結となり、天皇が怒りの余り幕府を叱責し、対抗上、井伊が大獄に突き進んでいった果てに桜田門外の変が起こります。
日本を異国の侵略から守るには、新式の武器と新しい軍隊が必要、そのためには、外国情報を得て、国の財政を豊かにしなければならず、貿易で利をあげるしかない、天皇の許しが出ないため開国できず、その道が開かれない。では、どうする? 幕末の大混乱はこのジレンマから起きました。安政の大獄で、多くの公卿や大名から恨みをかった幕府は、井伊暗殺のあと、急坂を転げるように威権を失墜していきます。その局面ごとに、いろいろの人が思うことを丁寧に書いていこうと思います。
恒淳
佐是様、
桜田門外の変の部分を読んでいて、今日は3月3日か...などと思ってしまいました。
それにしても容堂の詩にはその性格が表れているようで、笑ってしまいます。
長行の将軍上洛についての意見書は、庶民生活への影響も考慮され、さすがだと思いました。
本陣周辺の百姓農民が大量に助郷に駆り出され、その不満が一揆に繫がりかねない様なこともあったと読んだことがあります。庶民を度外視した政治はあり得ません。。
まもなく長行の幕政参加が実現する様子、次回以降の展開に期待です。