幕末に活躍した老中小笠原長行の章が始まります。
容保は、不思議な縁に導かれ悲劇的な道を歩みますが、長行という人は数奇な運命を歩むという点で格段です。これ以上ないほどの不思議な縁で幕末の重責を担いました。
小笠原流の武芸を身につけ、騎射、弓射では大名随一の名人と謳われました。学問もあり、能書で有名なひとでした。奇縁によって老中にならなければ、学者として十分に立っていける人でした。明治海軍の小笠原長生(ながなり、中将、鈴木貫太郎と同期)はその息子です。
虚空に香一炷の立ち昇る気韻をもって斜め頭上に静かに構え、弓の打起こしをとった。肩の線、腰の構え、両足の開きはまさに地に平行、的を見通す視線は鋭く定まり、静中動の姿勢が澄を求めて凛々しい気配が辺りを払った。
この節に出てくる日本左衛門は実在の人ですが、青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)という歌舞伎では日本駄右衛門として演劇化されました。その自己紹介の名調子は次のようです(稲瀬川勢揃の場)。
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問われて名乗るもおこがましいが
生まれは遠州浜松在(えんしゅうはままつざい)
十四の時に親に離れ
身の生業(なりわい)も白波の
沖を越えたる夜働き
盗みはすれど非道はせず
人に情けを掛川から
金谷をかけて宿々で
義賊と噂高札(うわさたかふだ)の
廻る配布の盥(たらい)越し
危ねえその身の境涯も
最早四十に人間の
定めはわずか五十年
六十余州に隠れのねえ
賊徒の張本(ちょうぼん)
日本駄右衛門(にっぽんだえもん)
文久2年(1862年)3月、江戸市村座で初演された歌舞伎の演目。通称は「白浪五人男」(しらなみ ごにんおとこ)。二代目河竹新七(黙阿弥)作、全三幕九場です。
初演が文久二年というのが面白い。まさに小説の時代そのものです。
佐是様、新展開に期待しています。
名前だけうろ覚えの人物が何人か登場しました。小笠原長行は長州征討で戦った大名、日本左衛門も大盗賊くらいの記憶しかありません。徳山五兵衛も日本左衛門がらみで時代小説でよんだような気がします。盗賊一味の悪事で転封に遭ってしまった大名は腹に据えかねたことでしょう。小笠原家の辿った会津絡みの歴史を踏まえて読んでいこうと思います。
写真は7年程前、島津家別邸仙厳園で行われた小笠原流流鏑馬の様子です。