この小説は、ほとんど資料に準拠して書きました。姉小路卿の暗殺犯人は誰かという大きな謎について、状況証拠を集めて、私なりに想像しました。全くの創作です。
歴史の真実はわかりません。私は、長州系の攘夷志士が犯人だと思うに至りましたが、長州系の中の誰かまでは、私の力では憶測さえできません。
この大きな事件の犯人が不明であることは有名なので、かえって気が楽に、自分なりに犯人を想像しました。その陰謀工作について詳細は第四章 名残のほととぎす―公知― に描きますが、犯行の動機、犯人を暗示する最初の記述を十五節に書きました。
文久三年(1863)4月から8月までの五ヶ月は、日本が政治的に乱れに乱れた時期で、まともな政治環境は全く失われます。三条たちによって、非を通すために理が通らない環境を作られてしまったからです。国家を転覆する最初の過程がどういうものだったのか、多くを知れるのが文久年間です。
ペリー来航(1853)から7年後に桜田門外の変(1860)
桜田門外の変(1860)から8年後に明治の御一新(1868)
幕末の動乱15年間の中間点が桜田門外の変だということです。それ以前は、老中阿部正弘を中心に、外圧の危機を感じながら人材を育成し、開国に舵を切り、国内体制を上手に開国に適応させる統制のとれた動きがみられます。阿部が死んでも開明的な幕府の方針は維持されましたが、日米修好通商条約を勅許なしで締結(1858)してから、朝幕関係が軋み始め井伊大老の暗殺に至ります。これ以降、幕威が低下し幕府一人ではやっていけなくなり、反幕倒幕派の台頭を許してしまいます。あとは一気呵成に幕府崩壊に向かいました。幕臣たちの印象では、薩長の兵は”時代の背に乗ってやってきた”ように見えたそうです。新政府軍は時代を味方につけるほどにイデオロギー的に成長していたのでしょう。
あるまとまった時代の中間点に何が起きたかを考えると、その時代の特性が見えるような気がします。
明治の御一新(1868)から敗戦(1945)までを天皇中心の時代を考えると、77年間。その中間点は日露戰爭に勝利(1905)し、外国勢力に侵略されまいと頑張って富国強兵の道を歩んだ明治の営みが一つの頂点に達したころです。このあたりまでは、幕末の幕臣が将来の目標として夢見た範疇に入る世界です。
これ以降、第一次大戦をへて日本は大国となっていき、昭和に入って、明治憲法の運用を誤り敗戦に至ります。日露戦争/ポーツマス条約を中間点におくことによって、大日本帝国の77年間の興亡がはっきり見えるように思います。
同じように、敗戦(1945)から現在(2024)までを戦後の復興、発展期と見ると79年間。大日本帝国の時代とほぼ同じ長さを経たわけです(ちなみに敗戦は明治78年、現在は明治157年)。
敗戦後の時代の中間点は、プラザ合意(1985)です。円高ドル安誘導の政策が日米英独仏の五か国で合意されました。日本の復興、成長が極大点に達し、強すぎる日本経済の前にアメリカも手をこまねいた状況でした。アメリカ人からみて、敗戦国日本がここまでに、と舌打ちしながら悔しがる人が多かったことでしょう。合意発表翌日の9月23日の1日24時間で、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落し、1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになったと言います。ここからバブルにいたるまで、日本円の強さ、日本人の裕福さは世界の驚異でした。日本が史上、初めて経験するような豊かな時代の始まりでした。
井伊暗殺が幕末動乱の中間点だというところから、いろいろ、歴史を振り返って見ました。
恒淳
フランス軍に占領された長州前田砲台(ベアト撮影)
文久4年に下関は四か国(英仏蘭米)の17隻からなる艦隊に砲撃され、上陸をゆるして砲台はじめ沿岸部を占領されるに至ります。強引な攘夷をやるとこうなると、幕府が口を酸っぱくして言ってきたことを、自らやって見せたということだと思います。戦後、長州藩は幕命に従って攘夷を実行したのみと主張し、英米仏蘭に対する損害賠償責任は徳川幕府のみが負うこととなったようです。それにしても、幕府に従ったのみ、とはどの口が言う、と思いますが、言われっぱなしの幕府も、もはや国を代表する気概があるのかと思います。
私はパリの戦争博物館で、フランス軍が長州から分捕った大砲の展示を見た記憶があります。
佐是様、
攘夷急進派言うところの「成敗を問わず」は太平洋戦争時のB29に竹槍で応戦させようとした軍部と同じではないでしょうか。精神力への頼り過ぎは危険です。
最近、松下村塾思想を基とする攘夷急進思想が昭和日本軍の考え方と重なってしまいがちです。無謀な攘夷行動の行く末に気付き始めた姉小路の暗殺も五・一五事件、二・二六事件等と同様のように思えます。
国力の浮沈という視点で、ペリー来航、桜田門外の変、明治維新、日露戦争勝利、太平洋戦争敗戦、プラザ合意~現在 を初めて時系列で考える機会を得ました、ありがとうございます。
未来のことはわかるはずもありませんが、戦後80年近い間に日本には、国民全体の品位、平和指向的な考え、勤勉さ等々が定着しており、そう悲観的に考えなくても良いのではと楽観視しています。どういう未来になるのでしょうか、次世代、次々世代に期待します。