幕末では、幕府/大名側の事情と合わせ、天皇/公家側の事情を知ることが大切です。おいおい、いろいろな公家が出てきますが、三条実万は重要な人物です。政治的に果たした役割だけでなく、三条実美の強い反幕思想がどのように形作られるのか、実万が大きな影響をもたらしたと思うからです。
実万自身は、一般的な範囲で攘夷思想は持っていましたが、さほど急進的なものではなく、むしろ穏健な公武合体主義者でした。長い官歴において、大名、幕僚にも多くの知人、友人がいて、幕府側の事情にも通じていました。実万の直接の影響で実美が強い反幕思想をいだいたのではないようです。
そのあたりの実美の動機なども考えていきたいと思います。
葵祭の一シーン。内裏遷幸式の実万もこんな感じだった
のでしょうか、想像したくなります。
佐是様、
三条実万についてはまったく知識がなかったので、興味深く読んでおります。実万や岡田為恭の行動に注目したいと思います。
公家の貧窮生活の描写を読めば、その恨みが下級武士などと同様に結果的に倒幕に向かったのも理解できるような気がしました。
今回は援助する方にまわった薩摩藩も五百万両もの借金を抱えて右往左往していたわけですが、その窮状を救った調所広郷はなぜか悪役視されてきたようです。私には薩摩藩にとっての恩人のように思えるのですが。知り合いに「調所」姓の方がいますが、「ずしょ」ではなく「ちょうしょ」と読ませています。「ずしょ」では生活しにくく、その昔無理やり「ちょうしょ」に変えたのではと想像しています。
写真は鹿児島県日置市東市来町美山にある調所の招魂碑。
小説とは直接関係ありませんが、今でこそ有名な薩摩焼も江戸時代は低迷していたようで、その窮状を救ったのも調所広郷だったようです。