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執筆者の写真佐是 恒淳

『四本の歩跡』第三章七節「どか貧の偉物」

 幕末では、幕府/大名側の事情と合わせ、天皇/公家側の事情を知ることが大切です。おいおい、いろいろな公家が出てきますが、三条実万は重要な人物です。政治的に果たした役割だけでなく、三条実美の強い反幕思想がどのように形作られるのか、実万が大きな影響をもたらしたと思うからです。

 実万自身は、一般的な範囲で攘夷思想は持っていましたが、さほど急進的なものではなく、むしろ穏健な公武合体主義者でした。長い官歴において、大名、幕僚にも多くの知人、友人がいて、幕府側の事情にも通じていました。実万の直接の影響で実美が強い反幕思想をいだいたのではないようです。

 そのあたりの実美の動機なども考えていきたいと思います。




            葵祭の一シーン。内裏遷幸式の実万もこんな感じだった

            のでしょうか、想像したくなります。

閲覧数:10回2件のコメント

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2 Comments


北薗 洋藏
北薗 洋藏
Jun 22

佐是様、


三条実万についてはまったく知識がなかったので、興味深く読んでおります。実万や岡田為恭の行動に注目したいと思います。

公家の貧窮生活の描写を読めば、その恨みが下級武士などと同様に結果的に倒幕に向かったのも理解できるような気がしました。

今回は援助する方にまわった薩摩藩も五百万両もの借金を抱えて右往左往していたわけですが、その窮状を救った調所広郷はなぜか悪役視されてきたようです。私には薩摩藩にとっての恩人のように思えるのですが。知り合いに「調所」姓の方がいますが、「ずしょ」ではなく「ちょうしょ」と読ませています。「ずしょ」では生活しにくく、その昔無理やり「ちょうしょ」に変えたのではと想像しています。


写真は鹿児島県日置市東市来町美山にある調所の招魂碑。

小説とは直接関係ありませんが、今でこそ有名な薩摩焼も江戸時代は低迷していたようで、その窮状を救ったのも調所広郷だったようです。



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佐是 恒淳
佐是 恒淳
Jun 23
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北薗様

 財政を立て直したのに、調所は気の毒な最期を遂げました。私は、開明的な斉彬公がいわゆる蘭癖だったため金がかかり、それを金庫番の調所が嫌って、二人の間に対立が起きたのかと、単純に思っています。財政緊縮派と積極派という対立軸があったのでしょう。

 薩摩の調所笑左衛門や長州の村田清風が、財政を立て直し幕末に薩長を雄藩たらしめた人材でした。山田方谷も経済改革で有名な人です。少し前の時代では、会津藩の田中三郎兵衛がいました。

 これらの人はそれぞれのお国の事情を踏まえて産業を興しました。薩摩では調所がやった砂糖の増産政策や長崎貿易が有名ですが、焼き物の奨励も手掛けたことを知りました。


 経済的な危機に際して、日本人はいろいろ手を打ってきました。現代でも長いデフレ/不景気の時代から脱却しようと、多くの試みがなされています。昨晩のNHK特集では、外国人旅行客を呼び込み地方を活性化する取り組みが紹介されていました。あくまで現代の活動ですが、似たようなことを江戸時代にもやっていたと、既視感を覚えました。

 各地に名産品を育てる試みは、吉宗の頃からやり続け、いまなお盛んです。お陰で、日本国中どこにいっても、地方色豊かな名産が溢れています。私の家にも白薩摩の抹茶茶碗があり、今は妹の手元にありますが、遠い地でも薩摩焼は珍重されていたことを知っています。インバウンドが来日し、大感激して日本を面白がるのもこうした日本文化の多様性の故だと思います。

 こうして見てくると、調所の服毒自殺は気の毒と思いつつ、大きな功績があり、いまなお、その精神が日本に受け継がれているような気がしてきました。


                        恒淳


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