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執筆者の写真佐是 恒淳

『四本の歩跡』第一章六節「磐根の亀裂」

 会津松平家は幕府において重要な立場にありましたが、文久年間、容保が京都守護職に就く以前、歴史的に見てあまり目立つ印象がありません。樺太や北海道を守ったこと、三浦半島や房総を守ったことがさほど有名なわけでもありません。


 この藩は、二代将軍秀忠の血筋を引く御一門であり、溜間詰の名誉色の高い処遇を受けますが、家柄が高すぎて老中のような直接、政治に関わる職位には就けない決まりでした。家祖の保科正之(秀忠の御落胤、家康の孫)が四代将軍家綱の許で幕政を担ったのは、輔佐役(大政参与)の立場であり、大老や老中ではありませんでした。


 このような立場で、保科正之が明暦三年(1657)の江戸大火からの復興を主導し、江戸城天守閣を再建しなかったという話は今もって有名です。会津藩が政治の先頭に立つのはこの時と、幕末の大動乱のときくらいです。あまり目立たない藩のような気がします。それは溜間詰という立場がそうさせたのだと思います。政治に利を持ち込むことを特に嫌う藩風はこんなところからきたのかもしれません。ペリー来航時には第一線で警固し、危機感を肌で感じた藩でした。





















柿実る

閲覧数:9回2件のコメント

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2 Comments


北薗 洋藏
北薗 洋藏
Nov 05, 2023

佐是様、今週も楽しませていただきました。


ペリー来航前年の家督相続、容保のその後の苦難の人生を予感させるような気がします。

阿部正弘、堀田正睦も幕府の重要人物だと思っていますが、その事績には詳しくありませんので、少しは調べてみようと思っています。

久里浜の場面では、五年ほど前訪ねたペリー記念館、上陸記念碑を思い出しました。私の見た石碑の中、大きさではペリー上陸記念碑が最も大きく、次が紀尾井坂の贈右大臣大久保公哀悼碑です。ペリー上陸記念碑の大きさに圧倒されたことを思い出しました。

今後、容保がどういう考えをもち、どういう政策を打っていくのかを興味深く読んでいきたいと思っています。

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佐是 恒淳
佐是 恒淳
Nov 07, 2023
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北薗様、

興味深いコメントを賜りありがとうございます。

私も面白いと思い「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」を調べてみました。


 ペリー艦隊に乗船していた若い少尉候補生が明治33年(1900年)訪日したところ、ペリーを記念するものが何もないことに落胆し、これを友好団体に言ってところ、石碑建立の気運が高まり、作られたものだそうです。翌年7月14日、式典が行われ、米艦隊も来航して参列したそうです。


 私はこれを知って、アメリカは日本を西欧社会に導いてやったのだという(ややお節介な)変な親近感を日本に抱き続けたのではないかと思うに至りました。アメリカは日本を「お友達にいれてやった」と思いたがるような気がします。当時の日本にとってペリー来航が記念碑を立てるに値する立派なことだったとは、日本中の誰もが思わなかったでしょう。来航した英、仏、露のなかで最も強引で「タチの悪い」来訪者だったからです。だから、47年間も記念碑など日本人は思いもよらなかったのだと思います。


 しかし、明治33年当時、日露関係に軋みが出始め、明治政府はアメリカと親交を深めるのは悪くないと考えたのだと思います。日米両国の市民からの寄付金に明治天皇からの寄付も加わり、あまり政治色のないことで両国の友好を深められるイベントになって成功したということでしょう。当時の伊藤内閣の法相金子堅太郎は若い頃、米国に留学しセオドア・ルーズベルトと学友で大の知米派でしたから、このイベントに大いに貢献したようです。日露戦争では、アメリカ国内を講演旅行し、アメリカ世論を親日に導くよう伊藤から頼まれたという話は、「坂の上の雲」で有名です。金子は1899年アメリカで出版された新渡戸稲造の「武士道」(もともと英語で執筆)だけで、アメリカの親日世論を喚起しなければならない心細さがあった、と書かれてあったように記憶します。記念碑建立など、日米の親密化に有益だったことでしょう。


 徳川幕府の派遣した遣米使節団は、初めての政府使節団で、これを迎えたアメリカは国際的に得点をあげたのでした。重光葵が降伏文書に署名した戦艦ミズーリにも、ペリー艦隊の旗が掲げてあったと聞き、アメリカ人は歴史的に日本を思う時、ペリーが真っ先に思い浮かぶようだと思います。いまでも、ポトマック河畔の桜まつりや、ポーツマスの日露講和交渉の記念館など、アメリカは日本と関わった歴史を大切にしているとも見えます。日露戰爭、特に日本海海戦の鮮やかすぎる日本の勝利に警戒感を高め、満鉄開発の参加が決まりかけていたハリマンを除外したことや、カルフォルニアの日系移民排斥が起こり、次第に、日米関係はおかしくなっていきますが、一方で、友好関係のきずなも随分太いものがある国です。


 北薗さまの記念碑の話から、いろいろのことが頭に浮かびました。昨日は、所用があって、すぐにご返信できなかったことをお詫びします。


                              恒淳


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