先週のブログ-コメントでも書いたように、攘夷論者の大誤解について触れるときがきました。鎖国は古来の國是であるという大誤解に基づいて、攘夷によって鎖國を守れと叫んできたのが天皇を含む攘夷論者でした。攘夷論者はすなわち鎖国継続論者であり、宋学的な華夷秩序観に立って異国人を排斥(攘夷)しようと叫んできたのでした。
それがどうでしょう、鎖国は古来の國是でもなんでもなく、単なる徳川三代将軍家光のとった政策でしかなかったのです。それ以前、京都の切支丹教会には日本人信者が通い礼拝に参加し、海外(ポルトガル)貿易が盛んに行われていたことを知って、天皇、公卿、攘夷志士はどう思ったことでしょう。今までの攘夷の叫びは三代将軍家光の政策を支持するに過ぎなかったということになります。安政の大獄とはこんな大誤解から勃発したのだと思うと、滑稽とも、悲惨とも、時勢ボタンの掛け違えとも、何とも言いようがありません。
次回はいよいよ桜田門外の変です。
近隣の森林公園でも、
今年は紅葉が少し遅いようです。
佐是様、幕末へ向けての情勢変化を楽しく読んでおります。
この時点での朝廷に情勢把握の甘さがあったのは否めないのではないでしょうか。
長期間、政治とはかけ離れた場所に置かれ、致し方なかったのかもしれませんが、それでも日本を左右する立場にあることは変わりなく、偏った意見に陥ることを避け、多方面からの意見聴取、正確な情勢把握に努めるべきだったと思います。
悪役にされがちな井伊直弼ですが、日米修好通商条約締結などの幕府の外交政策は正しかったと思います。但し、安政の大獄の苛酷な処罰は論外。やはり、直弼は阿部正弘と違い、強権的な人物だったのでしょう。
攘夷、開国、尊王、佐幕など人びとの考え方の変化に置いて行かれないよう、次回以降も読んでいきたいと思います。