江戸城西に位置する半蔵門を抜けて麹町十丁目に至ると、外堀に面した四谷御門となり、ここを抜けると内藤新宿の大木戸を経て甲州街道となります。今でも八王子や笹子峠を通る大動脈です。
高須松平家の上屋敷は、この四谷御門を抜けたあたりに広壮な敷地を構えていました。今は、荒木町と呼ばれる一画です。敷地は中央部が低いすり鉢状の地形で、金丸稲荷神社は今も残っています。
明治以降、庭園跡は滝のかかる大きな池などが残り風光明媚な行楽地になりました。次第に景勝の地に料亭が軒を連ね芸者の行き交う情緒ある花街になっていったのだそうです。戦争で一帯は焼けましたが、今でもかつての風情を偲んで訪れる人が多いそうです。現在、個性的な料理屋、居酒屋が多く、グルメの町です。私も、何度か行ったことがありますが、ここが高須藩の上屋敷だったと面影を探すには、よほどの想像力を働かす必要があります。今回は、容保の育った屋敷から生れを語る話になりました。往時茫々です。
金木犀が満開です。あたり一面、馥郁たる香に満ちて
爽やかな秋日が素晴らしい風情を湛えています。
佐是様、毎回勉強になります。
容保と徳川慶勝が兄弟であることはおぼろげながら記憶にありましたが、高須四兄弟については初めて知りました。大名家に限らず養子縁組の多かったこの時代、私の場合メモを取り、あるいは系図を活用しなければなかなか全体像が理解できません。
武家社会に限らず、商家でも養子縁組が多かったと読んだことがあります。家運隆盛のための養子縁組、ある意味実力社会という印象です。
幕末に向かっての展開を楽しみにしています。