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執筆者の写真佐是 恒淳

『四本の歩跡』二章八節「度胸と怯懦と」

 生麦事件がいよいよ大問題になって幕府に大きな負担を強いてきます。長行は、幕府の組織改革、部署廃止に使われ、次は井伊政治の清算と公武合体への道ならしに起用され、次は生麦事件を巡って賠償金を払うか、攘夷の立場から払ってはならないとする国論二分の環境下で駐日英国大使と交渉をすることになります。どれも幕閣、幕僚の嫌がる難問でした。へたをすれば、切腹、暗殺、朝廷からの叱責など恐ろしい反応が降ってくるかもしれない難職です。長行は数奇な運命で老中格になり、担当する仕事もまた難題続きです。


 島津斉彬の行列に不埒な英国商人が馬で乗りかけてきたとしたら、斉彬はどのように対処したでしょうか?久光のような無礼討は決してしなかったでしょう。どんなに強硬な対応を取ったにしても、捕縛し大名行列に馬で乗りかける無礼を咎めて、後日、幕府とともに英国代理公使のニールに捻じ込むくらいがせいぜいだったと思います。代理公使との交渉で、当該商人を海外追放、日本での商売禁止などを主張する策もありえました。あまりふざけた真似をするとどうなるか、見せしめにすることくらい考えそうなことです。

 日英修好通商条約の治外法権の条項によって、日本政府が直接イギリス人を罰することはできませんでしたが…


 もちろん、そこまでしなかったかもしれません。斉彬は国際政治情勢を熟知し幕府を助けようとしていたから、久光とは全く別の対応を取ったはずです。久光と斉彬の資質の差がでたような事件です。



常盤橋と御門 外堀と道三堀、日本橋川からなる川の交差点には、常盤橋、呉服橋、一石橋、銭瓶橋の四本の橋が架かって、それは美しい景観でした。常盤橋御門の櫓門をくぐって右手が松平越前守の上屋敷でした。現在は、日銀の近くで、旧跡として石垣などが残っています。

閲覧数:10回2件のコメント

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2 Comments


北薗 洋藏
北薗 洋藏
Mar 17

佐是様、長行は幕府上層部にいい様に使われ始めたように見えてきました。


洋学嫌いの久光、大局観に疎い攘夷急進派、両者とも空回りしただけのことではないでしょうか。無礼極まりない外国人だとしても、もし外国の軍事力、世界の大勢を理解している斉彬だとしたら生麦事件同様の事件への対処は違っていただろうということは同感です。

生麦事件の対英交渉役とはいやな役目が回ってきたものです。汚れ役は誰しもやりたくはありません、特攻や玉砕を実働部隊に押し付けた太平洋戦争時の日本軍上層部を思い出してしまいました。


写真は6年程前、生麦を訪ねた時のものです。




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佐是 恒淳
佐是 恒淳
Mar 17
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北薗様、

いい写真をありがとうございました。生麦事件現場には、折を見て、行って見たいと思いました。


長行は当初、水野、板倉の両老中に頼りにされ、一橋慶喜、松平春嶽の両人にも頼りにされます。長行の、やれと言われれば見事に成し遂げる高い行政能力は得難いものだったでしょう。長行は、それだけでなく高次の政治能力も見事に備わっていました。身分は高いこれらの人たちにこき使われているようでもあり、長行が上手にこれらの人たちを使って、幕府に良かれと思うことをやっていたようでもあります。長行は穏やかな人柄ながら硬骨の忠義心を貫いた人で、心底、幕府への献身と己の矜持を大切にしたのだと思います。私の好きな人物です。

                            恒淳

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