長行は、公職に就いた最初から、旧慣を破壊するような使命が期待されていたようです。長行の上書以降、幕府は奏者番を廃止しただけでなく、駿府加番、二条城在番、小普請方を廃し、小姓二十人、小納戸百四十人を減じたというのです。組織のスリム化はいつの世でも必要なことですが、幕末幕府は特にそうでした。誰もがやりたくない仕事ですが、やらなくてはならないとき、水野と板倉が考えた組織改革の起動力が長行でした。長行は、いいように利用されている感があります。よほど腹が据わっていると見込まれた長行に与えられた重要な任務でした。これからも、長行は、人が尻込みするような仕事に幾度も任命されます。捉われない自由闊達な精神状態で、淡々と気負いなく難題に取り組んでいきます。弓道の鍛練のお陰だと思います。
長行が息軒を誘って中秋の名月を楽しんだ三つまたとは、今の箱崎町のあたり、箱崎川が隅田川に合流していた中州の付近でした。田沼意次全盛の安永年間には埋め立てられ一万坪の新地は富永町と呼ばれ、江戸で最も繁盛した盛り場でした。町の様子は、拙著『将軍家重の深謀-意次伝』三章八節「民に力あり」に書いたことがあります。
田沼のあと、田沼政治を嫌ってその痕跡迄も消し去ろうと松平定信によって、埋め立て地が開削され、川の合流点に戻されてしまいました。その土を使って浅草あたりの墨堤を築いたということです。幕末は、単なる川の合流点で町は存在しないままですが、月の名所であることは変わりません。この辺りの月見遊びを書いてみました。
恒淳
佐是様、いよいよ長行の幕政参加が始まりました。
幕威弱体気味とはいえ前例に倣いたがる人間が多い中、諸改革を行うには水野忠精のような現状打破意識を強く持っているリーダーが必須だと思います。組織改革や人材配置などには恨みがつきものですが、改革を急ぐには長行の豪胆さが必要だったのでしょう。今後の幕府内の変化も楽しみです。
中秋の名月を楽しむ屋形船とその間を漕ぎ回るうろうろ舟の風景が目に浮かぶようでした。