六 糸を張る 次を読む 前章に戻る 目次に戻る ブログを参照する
宝暦十三年(一七六三)正月五日、江戸城は前日に降った雪が積もり、一面に白い朝を迎えた。大手御門と内桜田御門から始まる二筋の雪掻き道が中之御門前で合わさり、これを通って本丸御殿に通じていた。朝早くから雪を除(の)け、掃き清め、大名の年始儀礼の登城のために城中下々の者どもが夜明け前から大汗をかいたに違いなかった。
本丸表で、意次は多くの正月行事が続く合間を見計らって大奥御年寄(おおおくおとしより)筆頭の松島を訪ねた。倫子と側室知保(ちほ)を共に見守る同志である。
「まずは、謹みて新春を寿(ことほ)ぎ、佳(よ)きお年が大奥に巡り来たりますよう、心よりお祈り申し上げます」
「これは御丁重なる年賀の御言葉、松島からもあらためて、今年もよしなにお願い申し上げまする」
二人は、同志の信頼を確かめるため、蕩(とろ)けるほどの笑顔を丁寧に交わし合うことから始めた。時折、障子の外で、坪庭の植木から夜来の積り雪の落ちる音が響いた。
「さて、私ごとながら、松島様にお伝えいたさねばならぬ儀がございます。いささか面映(おもは)ゆうござりますが、実は……」
意次は恥ずかしがる様子もなく、近く、呉服橋御門内の田沼邸に側女を迎える段取りがようやく整ったことを伝えた。松島から推薦された女を側女に据えるため、ここに至るまでに複雑な経緯があった。
「それはそれは、おめでとう存じます。これで、主殿どのも、ようやく上様との約束をお果たしになられ、御台様や知保さまに一層の忠義をお尽くしになられる御所存かと……。さらに御励みあり、すでに上様に一歩引けをお取りの駆競(かけくら)べをお捨てになりませぬよう」
松島は、意次の側女の選定が極めて難しかった反面、家治のほうは知保がすでに男児を出産した慶事を思い出すように、ふふふと笑みを浮かべた。
家治のお声掛かりで迎える意次の側女は、御台所だけでなく、松島ともつなぎを果たす才気を持ち、知保とも打ち解け、うまが合うことが必要だった。しかも若い女となると、探し出すのはそう容易ではなかった。
前年、秋風が立つ頃、眼識(めがね)にかなう女が見つからぬまま、時ばかりがたって意次は困り果てた。並みの側女選びとは訳がちがう。複雑に糸の絡まる大奥に意次の眼となって、分け入る手引きとなる女である。才気煥発でなければならなかった。
意次は、知保を側室とした家治から側女の件を皮肉混じりに、遅いではないかと尋ねられることがあった。意次は急ぐ気持ちが募ったものの、側女を探しあぐね、助けて欲しいと松島に頼み込んだ。
松島が、それとなく知保に尋ねてみると、心当たりの娘がいるという。名をおふじと言った。身分は卑しいが、幼馴染で、知保が大奥で芽の出ない辛い時期を過ごすころ、里帰りした折、励まされた友だという。若いころ、おちほとおふじは、もし、いずれか一方が女の運をつかんだなら他方を助けると、相互の約を交わした仲だったらしい。
後日、松島は、御用向きにことよせて大奥広敷におふじを呼び寄せ、その話しぶりから、気働きが利き、口の達者な質(たち)を見て取った。
その後、松島はいろいろ手を尽くして調べたらしい。意次は松島から、おふじを側女に薦められた。松島は、やや薹(とう)が立ってはいるが、なかなかの容色だと笑いを抑え、少しからかうような素振りをみせた。その一方で、真剣な態度で側女にせよと説いた。意次は満更でもなさそうな顔を一瞬でも見せたことに気付いたか、すぐに表情を引き締め松島の話を謹聴したのだった。
こうして、二人が意次の側女探しを重ねる間に、前年十月二十五日、知保は、あっぱれ、男児を産み、家治に嫡男を授けた。十一月朔日(ついたち)、乳児はすぐに知保の手元から離され、倫子の養育下に置かれた。
家治がこの乳児に竹千代を名乗らせ、将来、世子に据える決意を示したことは意次の大きな喜びだった。意次は、倫子が万寿姫に一歳違いの弟ができて喜ぶ様子を松島から伝え聞き、あらためて喜んだ。
意次は松島に薦められた女の処遇を考えた。問題は、身分の不足だったが、これは意次の息のかかった者が娘の仮親になれば解決する。誰を仮親にすればよいか、いろいろ考えた末、意次は町医者の千賀(せんが)道隆(どうりゅう)に頼み、快諾を得た。そのことを、正月明けのこの日、松島に伝えにきたのだった。
「仮親を頼んだ千賀道隆は評判のよい町医者で、我が屋敷にも出入りする者です。信のおける人物で、幸いにも、十六、七の年頃の娘がおります」
意次は妙なことを言い出し、間合いを取って松島の顔を見つめた。
「お知保(ちほ)の方さまの弟御、津田信之どのは、明けて二十三になられましたから年恰好もちょうど良く、さほど遠からざる将来、千賀(せんが)の女(むすめ)がお側近くお世話申し上げるようになれば、めでたいのですが……」
意次は、時宜を見計らって千賀の娘を知保の弟の側女に世話する考えを松島に伝えた。うまくいけば、意次の妾(しょう)と知保の弟の妾(しょう)とは千賀家の姉妹となり、意次は千賀家を介して知保の縁戚に収まる。知保は将軍嫡男の生母だから、意次は将軍嫡男との縁にも遠くつながることになる。松島は、意次の才に感心したか、少し妬(ねた)ましかったか、皮肉めいた笑みを浮かべて言った。
「正月からめでたい話を伺いました。是非とも福を呼び込みますよう主殿(とのも)どのと力を合わせ、上様に忠義をお尽くし致しましょう」
松島は松島で、別の手を打ったことを意次は知っていた。松島は、知保に遅れること一、二か月にして、別の中﨟を家治の側女に上げた。倫子が京都から江戸に来た時の御付き役で、従二位(じゅにい)藤井兼矩(かねのり)卿の女(むすめ)、名をお品(しな)といった。
倫子の部屋子を勤めるお品も人目を惹く美貌の持ち主で、主従して京都生まれの美女だった。家治は倫子の部屋を訪れる折に、お品の容色をよく見知っていた。大奥で、誰一人振り返らぬ者はないと言われる奥女中に松島が目をつけ、養女に迎えてその日に備えてきた。
前月の師走十九日、お品の方も、見事に、男子を産んだ。二月(ふたつき)の間に将軍は二人の男児を授かった。意次は、知保を元手に己(おのれ)の夢を描いたように、松島も、知保とお品の二人に託して夢を見るつもりだろうと思った。
――我らはよく似た同士じゃ
松島を見ながら、微苦笑した。
「主殿は、これからも松島どののお導きを頼りに、御台所様、並びにお知保の方さまに、誠心誠意お尽くしいたす所存にございます」
意次は、当面、二人して大奥を上手に管理していこうと、丁重な言葉に包み込んで意を通じた。松島はにんまりと同志の笑みを返してよこした。
佐是恒淳の歴史小説『将軍家重の深謀-意次伝』第二章「田に実らざる富」六節「糸を張る」(無料公開版)